日本エネルギー会議

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ある高齢者の場合

原発事故から5年半。高齢者のAさんがやっとの思いで決断したことは、帰還を諦めることや、元の家に近いいわき市に家を建てることを諦めて生家から150キロも離れた郡山市の中心部に息子夫婦や孫と暮らすことだった。

福島第一原発の事故が起きてから、同居していた子供夫婦や孫たちと避難した先は中通りだった。避難所から仮設住宅に移ったが、その後Aさんは少しでも元の家に近いところでと、いわき市にアパートを借りて一人暮らし。近くにいる親戚や仲間が頼りだった。

5年の間に、息子は郡山市で仕事につき、中学生だった孫が高校を出て郡山市で就職。小学生だった孫も今は市内の高校にかよっている。息子夫婦は孫のことも考えて郡山市に家を建てることを決めた。友人たちが避難先に家を持つ人が多いことも影響した。

Aさんは事故当時より5歳年をとって車の運転も自信がなくなってきた。いわき市から郡山市に来るにも途中で休憩をとりながらで、だんだんキツくなってきた。いわき市にいる仲間も少しずつ亡くなっていく。今は一応健康だが、これから先のことを考えると、やはり息子夫婦と暮らしていくのが一番良いと考えた。あと半年で元住んでいたところは指定解除となるが、その頃に戻っても、その先が結局一人ではやっていけないと考えた。

土地や家の賠償は郡山市の中心部に家を新築しても十分な金額であった。いわき市の土地が高騰してしまったことも理由だ。都会では敷地70坪が標準で、希望する三世帯住宅を建てて、しかも車庫や畑などの余裕のある生活をするための100坪以上のまとまった土地はなかなか探せない。他の人たちがやっているようにハウスメーカーに家を発注するという条件で土地を見つけてもらうことにした。めぼしい土地はハウスメーカーにほとんど抑えられているからだ。

Aさんの場合は、帰還に相当執着していたのだが、結局避難が長期化したために、高年齢になって将来のことを考えざるを得なくなったのだ。今まで、帰還するのは高齢者ばかりと言われてきたが、高齢者さえも帰還しないという判断をするようになっている。元の町は避難先の都会で暮らしてみていきづまりを感じた人や、新たに仕事などで来た人たちによる人口回復しかない。そうなると帰還する仲間がますます少なくなって、結局帰還を諦めるひとが続出しそうだ。

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