日本エネルギー会議

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日本人は何故原発が嫌いなのか(5)

前回に引き続き、日本人の原発嫌いの理由についてさらに詳細に考えるとともに、どのように原発嫌いにつながっているかを分析する。

4. 日本人の理想を追求したがる傾向、原発に対するマイナスイメージの定着
日本人の理想主義は近代史でも数多く見られる。幕末に黒船が現れると自分たちの力も知らずに「攘夷」で突き進む。列強による植民地支配からアジア諸国を救うと言って、英米仏蘭を相手に「勝てる見込みはゼロではない」と無謀な戦いに進み、国民は「日本の大義のある戦い」と賛同する。戦後はGHQの望んだ理想的な憲法をつくり、その理想主義は受け継がれ憲法9条はいまも多くの国民に支持されている。

日本の一番の弱点であるエネルギー問題にしても、ユニバーサルサービスとベストミックスを追求し、いままたコスト問題や供給の安定性は棚上げして再生可能エネルギーを志向して止まない。子孫にやっかいな放射性廃棄物を残したくないと切望するが、高速炉やプルサーマルには反対だ。

さりとて処分場は見つからず、廃炉の跡はグリーンフィールドにせよと主張する。処分費用は大きな負担になるが、出力の大きな原発の発電コストで考えればわずかなものと考える。

つい最近、台湾政府が脱原発を決めたが、当局者は外国メディアの「実現性はないのでは」との質問に対して「そう考えるのではなく、そうなるためにどうすればよいかを考えるのです」と答えている。日本人と極めて似ている発想だと感じる。

こうした理想主義は「日本人が得意な創意工夫で乗り切ればよい」「理想実現のためなら電気代が高くても我慢する」という発想になり「原発は再生可能エネルギーの発展を阻害している」という主張になる。理想を実現するならあえて損も覚悟という美学なのだ。これではリスクが大きすぎる。

この止まらない理想主義が「原発など無くてもなんとかなる」という強気につながり、再生可能エネルギーへの過度の期待と原発嫌いを生んでいる。再生可能エネルギーが飛躍を遂げることが出来たら原子力は不要かもしれないが、それはまだどうなるかわからないので貴重なオプションとして原子力を開発し続けることが人類の存続に必要であるし、原発の技術はおいそれとは出来ないので継続が大切と説いても再生可能エネルギーを信仰している人々は受けつけない。

原発もごく初期の導入段階においては、輝かしい未来への第一歩としてプラスのイメージが人々の間に広がった。原発もかつては日本人の理想主義に気に入られていたのだ。ところがその後は事故などさまざまな要因によって、原発の良いイメージは悪いイメージへと変わり、いまや国民の間に悪いイメージがすっかり定着した。

人々に好ましく思われている再生可能エネルギーは当然、プラスのニュースが多く伝えられそれを国民も待っている。反対に原発の悪いニュースは多くの聞きたがっている人がいるのでメディアは情報量を増やし、原発に良いニュースは少なくなる傾向がある。メディアは人々を先導することもあるが、概ね好き嫌いを増幅する役割を果たしてきた。

人々の原発に対する嫌悪感は原発そのものに向けられるものと原発推進体制に向けられるものの二種類がある。まず原発そのものに対しては、知らぬ間に身体になんらかの悪影響のある放射線が出ること、何万年も遠ざける必要のある放射性廃棄物の処分場がないこと、起きれば壊滅的被害をもたらす大事故のリスクはどうやってもゼロにはならないこと、原発を動かすことで原子爆弾の材料が貯まることなど。

推進体制に対する嫌悪感は、原子力村の人々が「自分たちこそ本当のことをわかっていて、国のためには国民が理解出来なくても原発を開発するべき」と上から目線で考えていると感じていることが影響している。推進にあたっては巨大な金が動き、利権を喰いものにした連中がいること、無責任な下請け任せや隠蔽や操作など杜撰な管理が行われたこと、内外のチェックが効かないこと、度重なる計画の変更、繰り返される根本問題の先送り、事故時に露呈する対応能力のなさ、安全神話にだまされていたという悔しさ、そしてその体質は福島第一原発の事故があっても簡単に変わらないことに人々は嫌悪感を募らせている。

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