日本エネルギー会議

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社会合意の厳しさの背景

暮れに日本原子力産業協会の宅間正夫顧問から「イデオロギー」と「ポピュリズム」に翻弄されてと題する随筆が送られてきた。これは2016.9.21の「エネルギーレビュー誌に掲載されたもので、その概要は次のようなものだ。(全文は末尾参照) 

原子力は今なお我が国では社会合意が厳しいが、その理由の一つが、「イデオロギー」に振り回されて、その賛否が体制派か反体制派かなど、人々の信条の「踏み絵」にされたこと。加えて2011年の福島第一原発事故以後、今度は「ポピュリズム」に振り回されるようになり、被ばく国日本では原子力はポピュリズムの恰好なターゲットになってしまった。
感性に流される社会では目前の問題は刹那的に判断され、未来志向の中長期的な計画性の視点は失われる。原子力はこうした視野と計画性が必須の社会システムであり、「ポピュリズム」とは真逆。温暖化阻止や節度ある資源開発が、分断化・不安定化した国際社会で今後も可能なのか。憂いがつのるばかりである。
 
 原子力の誕生からほぼ3/4世紀経ち、原子力に関わってきた宅間氏の実感を伴った論考である。イデオロギーによる影響が収まったかと思っていたらタイミング悪く福島第一原発の事故が起き、ポピュリズムの嵐が吹き荒れはじめて原子力は格好の標的となってしまったという関係者の嘆きと焦燥感、人類社会の将来を憂う気持ちがよく現れた文章である。
 宅間氏が原子力は中長期的な視野と計画性が必須の社会システムであると書かれていることにヒントを得て、ここでは技術進歩と社会の関係を取り上げてみたい。今日、どのような技術もすぐに陳腐化する時代になっている。新たな技術は基礎的な技術に積み重ね改良されるものと、画期的なものとがあるが、いずれにしても日進月歩という言葉さえ適当な表現とは言えないほどの技術革新の速さだ。
この背景にはIT技術による世界規模の知識の共有がある。従来は、基礎的な技術が設備や製品となるには長い時間を要したが、現代ではその時間は驚くほど短い。また、先進国の大企業でなければそれが出来ないのではなく、逆に途上国や中小企業や個人でも実現出来るようになっている。これもインターネットなどIT技術のお陰だ。
宅間氏によれば、現代は目前の問題が刹那的に判断され、未来志向の中長期的な計画性の視点を失った社会であり、原子力のような技術は育てにくいとさている。しかし、私は社会合意が嚴しくなった理由は、人々の思考がポピュリズムに侵されただけではなく、技術革新の速度がかつてないほど早くなったことを認識しはじめたことも影響していると考える。そうしたなかで、原子力がやろうとしていることは数十年前の実用化当初とあまり変わっていない。
内燃機関で走る自動車が登場するまでは一般的な交通手段は馬車だった。自動車が登場すると馬車はもっと早く長く走ることを要求されたが、それは馬を使う以上は無理だった。また、馬を飼育することも手間がかかった。馬の品種改良で馬力が大きく手間もかからないスーパーホースは出来なかった。自動車がその後も使いやすいようにどんどん改良されていくと馬車は使われなくなり、馬の飼育も馬車の製造も御者の育成も観光用途以外は途絶えてしまったことを我々は知っている。
  原子力の平和利用としての原発は従来の電源にはない優れた点をたくさん持っており、次第にその数を増やしていったが、課題である放射線被ばく、放射性廃棄物の処分、安全性については抜本的な改善はみられなかった。出力を大きくしさらに効率を高めたり、事故時の安全性を高めたりすることは出来たが、放射性廃棄物を短い半減期のものに変え無害化する装置はいまだに実現していない。同じように、火力発電も環境に悪影響があるとされるようになり、技術的に経済的に解決が出来なければいずれは禁止される運命にあり、現在生き残りをかけて二酸化炭素の貯留や活用の取り組みが行われている。
自然エネルギー(水力発電を除く)は長いあいだ電源としての効率が悪く、実用性がなかったが、近年の技術進歩により電源として認知されるようになった。何よりも驚くことはその進歩がますます加速しそうなことである。また、天候による不安定さをどうするかについても送電網や蓄電池の助けを借りて克服しようとしているが、この試みがうまくいかなければ、人々は再び原発や火力発電に注目するようになるだろう。  
人々は安全、安定、安価で環境に良い電源を探している。より優れたものがあれば当然のごとくそれを選択する。原発も火力も再生可能エネルギーもIT技術やロボット技術などを取り込んで、より優れた電源になるような取り組みがされているが、原発においては、装置が多く複雑な分、そして福島第一原発の事故の後始末に追われている分、この取り組みが遅れているように思える。

 
「イデオロギー」と「ポピュリズム」に翻弄されて
           「エネルギーレビュー誌随筆、20169.21」
 原子力というエネルギー技術は誕生からほぼ3/4世紀にもにもかかわらず我が国では今なお、その安定した社会合意が厳しい。その理由の一つが、原子力技術が第2次世界大戦後の米ソ冷戦の政治的「イデオロギー」に振り回されて、原子力への賛否は「自由・民主主義か社会・共産主義か」、「体制派か反体制派か」など、いわば人々の信条の「踏み絵」にされたこと。教育界から原子力・放射線教育が排除され人々の合理的判断姿勢が奪われた不幸もその一例。とはいえ、「イデオロギー」対立が”エネルギー安全保障“なる大義のもとに、反対論を抑えて原子力を産官協力・国策民営の形で強力に進めることを可能にした面もあろう。これに加えて2011年の東電福島原子力事故以後、冷戦終結後の世界に広がりつつある「ポピュリズム(大衆迎合)政治」の中、原子力は今度は「ポピュリズム」に振り回されるようになった。「理性より感性」重視、エリート層への反発、グローバル化経済反対等を掲げ、移民受け入れ反対など「具体的で単純な攻撃目標」に向けて大衆の心を糾合する。被爆国日本では原子力はポピュリズムの恰好なターゲットになってしまった。感性に流される社会では目前の問題は刹那的に判断され、未来志向の中長期的な計画性の視点は失われる。原子力はこうした視野と計画性が必須の社会システムであり、「ポピュリズム」とは真逆。さらに「ポピュリズム」は合理思考の個人を建前とする今日の代議制民主主義を危うくしかねない。温暖化阻止や節度ある資源開発など「地球救済」のための技術開発・制度づくりに向けた国際的な協力体制が、分断化・不安定化した国際社会で今後も可能なのか。憂いがつのるばかりである。
           (日本原子力産業協会 顧問 宅間正夫)

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