日本エネルギー会議

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紛糾したNUMOの説明会

 全国シンポジウム「いま改めて考えよう地層処分」~科学的特性マップの提示に向けて~と題するシンポジウム形式の一般人向け説明会がNUMO(原子力発電環境整備機構)主催により全国各地で開催されている。
 札幌会場でパネリストの一人が、原子力文化財団が実施した調査結果に対し、「『自宅近隣に処分場計画されたら反対』の項目で、放射性廃棄物の処分に対する知識量が「高」の人より「中」の人の方に、また『最終処分場で大事故が起きないか心配』の項目で「高」より「中」「低」の人に反対が多かったことを捉えて「知識のない人による誤解が見られる」と発言した。
 この発言に対して会場から「差別的だ」との指摘があり一時紛糾した。指摘はやや言いがかり的ではあるが、「知識のない人は必要な勉強をしていない」と上から目線と取られてしまった感もある。
 以前から思ってきたことであるが、原発にせよ処理施設にせよその是非を問う場合、当事者は聞き役に徹して、主に技術的な質問があった場合に答えるだけの方が良い。その会合を原子力推進側であると見られている団体(NUMOもその一つ)が主催したり、シンポジウムのコメンテーターを出したりすること自体が好ましくないのではないか。
 そもそもこの問題を処分地ありきの問題だと考えているところに間違いがある。まず「どうやって処分地を決めていくか」ではなく、「放射性廃棄物の扱いをどうすれば一番よいか」からスタートすべきだ。議論の結果、結局「深い地層に埋めてしまうのがベスト」にたどりつくにしても、いきなり科学的有望地を示すというところまで行かずにその手前でどうするかを論じるべきである。
 すべての手順について一から考える機会を与えなければ、参加者が資源エネルギー庁やNUMOの敷いた路線に乗せられるのではないかと警戒心を抱く。推進側は自分たちの考えた手順でやりたがるが、そこを我慢する必要がある。
 ドイツのメルケル首相は脱原発をするかどうかの検討を倫理学者たちに任せた。韓国の中低レベル廃棄物処分場でも僧侶が「決めることは子孫への責任」とリードしたようだ。反対派からすれば原子力関係者の言うことはすべて何らかの魂胆があると取られるので、発言者が誰であるかがその意見への賛否の判断につながってしまう。
 この会合を仕切るのは哲学者、教育者、宗教家、生物学者、社会学者、歴史学者、民間人などで構成し、原子力の関係者は傍聴席に座った方がよい。「原発を続けるにしても即時やめるにしても、放射性廃棄物の処理処分問題は解決しなくてはならない」は誰も反対していない。現世代で当面の措置を取るということで合意出来ればよいのではないか。

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