日本エネルギー会議

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原子力委員会の「基本的考え方」(4)

 今年、新しい原子力委員会が発表した報告書「原子力利用に関する基本的考え方」を読みなおしてみると、いくつかの疑問が浮かんだので、シリーズでその内容を紹介している。
 今回取り上げるのは「基本的考え方」の次の部分である。

 原子力利用を取り巻く環境変化
 我が国においては、東電福島原発事故によりいったんすべての原子力発電所の稼働が停止し、原子力発電への依存度が低減した。
 また、電力小売全面自由化により、従前の地域独占と料金規制(総括原価方式による料金規制等が廃止されることとなり、電力事業の競争環境の下で原子力事業の予見可能性が低下しているとの指摘がある。
 電気事業法に基づき、電気料金は「能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたもの」とされている。
国際的には、東電福島原発事故後、ドイツ、イタリア、スイスなど原子力発電からの撤退や中断を決定又は再確認した国・地域がある一方で、原子力発電所の大規模な増設が計画・推進されている中国やインドを筆頭に、アジア、中近東、アフリカ等において原子力発電を導入しようとする動きが見られる。
 また、英国等の原子力利用先進国においては、自由化環境の下で様々な政策措置が模索され、低炭素電源としての原子力発電の重要性が再認識される動きも見られる。
 また、原子力エネルギー分野に加えて、工業や医療、農業等の分野への放射線利用は着実に進んでおり、引き続き、その利用拡大の期待が高まっている。
 他方、原子力利用の拡大は、同時に核拡散のリスクに係る懸念の高まりをもたらすこともあり、平和利用や核不拡散の取組の重要性について関心が高まってきた。我が国は、プルトニウムの管理と利用について透明性を高める取組を行ってきたが、常に国内外から高い関心を向けられていることに留意する必要がある。

 基本的考え方の前提として「原子力利用を取り巻く環境変化」を確認することは当然であるが、問題はその書きぶりだ。主体性がなく他人事として書かれている。私が問題だと感じる箇所にアンダーラインをつけた。
 いったい「とされている」「が見られる」とは何なのか。原子力委員会としての主体性がないのである。いったい誰の言葉なのか、それに対して原子力委員会として是なのか否なのか、それすら書いてない。
 何故このような表現をしなければならないのか理解に苦しむ。そうではないと反論されたときに、「いや、一般的にそのように言われています」とでも弁解するつもりなのか。
 また、「原子力事業の予見可能性の低下」はわかりにくい。原発は巨額でしかも回収が数十年の長期にわたるため投資がためらわれるということか。
 文章に読み手である国民によりよく理解してもらおうとする努力が不足している。
 委員会の守備範囲が小さくなり、エネ庁に原子力開発の大本営が移ったとしてもこの腰の引けた書き方は気になる。原子力における欧米での退潮と途上国での開発意欲、そして英国の国家支援の模索が書いてあるが、そのことが日本にとってどうなのかを書かなければニュースの紹介にしかならない。
 「原子力利用の拡大は、同時に核拡散のリスクに係る懸念の高まりをもたらす」のであれば、途上国などでの利用拡大には原子力委員会は輸出などにネガティブなのか。
 また、日本のプルトニウムの利用と管理にかかる透明性に何か問題が生じていると言いたいのだろうか。むしろ日本においてはプルトニウムが溜まり続けることが原子力開発の障害になってしまったと直截に表現するべきではないのか。

 行間から真意や状況を読み取るとすれば、「役所や産業界に配慮するあまり、表現の自由さえままならず、主体性のある文章を書けずにいる原子力委員会の姿」を想像することが出来る。

 次回は「原子力関連機関に継続して内在している本質的な課題」の小見出しがついている部分についてコメントする。            (つづく)
          

  

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