日本エネルギー会議

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処分場問題の難しさ(6)

 「原子力を国民の手に取り戻す」を合言葉に、労働団体や商工団体、原子力有識者、一般市民の方々と共同体を構築しようとする団体である原子力国民会議は、「原子力国民会議だより第17号」に次のように書いている。
 「最終処分地選定で社会的・政治的に多くの困難に直面していた欧米諸国では、21世紀に入って大きな進展を見せ始めています。それは押しつけられたというそれまでに施設の立地における地域住民の思いからの決別をはかる政策を取り入れたからと考えられるのですが、新たな最終処分基本方針は、欧米の最終処分政策とも調和しています。(下線は筆者)
 それは、時間はかかるかもしれないが国民や地域住民が対話の場を通じて最終処分問題の解決に向けた意思決定プロセスに参加することを促す急がば回れ政策といえます」とある。
 まったく同感。だが、下線部分はそうではなかろう。今の政権や経済産業省も勘違いをしている。国民や地域住民に意思決定プロセスに参加してもらうことは当然で、大切なのは押し付けられたという思いからの決別なのだ。
 従来の対話の場は官僚がお膳立てしたものであり、国の原案に反対する意見も言わせるが聞き置くだけに終わるという形式的なもので、国民やの住民は国が自分たち意見など真剣に聞く気はさらさらないと見抜いている。
 そもそも、いままで原子力開発を進めるなかで、国はエネルギー政策については、自分たち中央が決めたことが正しいのだから、国民はあれこれ言わずに黙ってついてくればよいと言わんばかりの態度であり、中央が勝手に決めて自分たちに押し付けたものと国民や住民は捉えている。
 住民参加といっても国の意向に沿った意見陳述をする者が用意されていて、反対意見は言わせるだけで、それで十分意見を聴いたので後は国に任せてもらうというやり方だったのだ。パブリックコメントについても同じで、国民や地域住民は過去の経験から、いくらコメントしてもなんら反映されないと怒っている。
 処分場問題の話し合いは、今までやってきたような、そして今回もやろうとしているような中央主導のやり方は採るべきではない。NUMOにしても電力会社にしても、舞台に上がるのは控えた方がうまく行く。原子力に関係している人たちは、傍聴に徹して技術的な質問があった場合にだけ発言するくらいにした方が良い。自治体の首長なども傍聴席がよいだろう。
 司会も議長も国や電力会社とは縁もゆかりもない人にお願いする。あらゆる分野、あらゆる階層から発言を求め、取りまとめ役は哲学者や宗教家、歴史家、法律家、教育者、社会学者などに委ねるのが望ましい。それはこの問題が世代間の倫理問題であり、国民ひとりひとりの権利や義務と大いに関係するからで、この点も欧米から学べることだ。 
 運営そのものを国やNUMOでなく、メンバー自身が決める。議論することは、高レベル放射性廃棄物の処分問題を次世代に先送りしないとの共通認識の下、処分場決定において優先的に考慮されるべき事柄、次世代に対する現世代の責任、処分場を引き受ける側の大義名分、地域が負う負担の中身、負担の公平、処分場に決まった地域及びその周辺の地域の負担に対する償い、処分場にならなかった地域の人々の理解、長い年月にわたって約束が守られるようにするための工夫、どのようにして国民に処分場決定に関心を持ってもらうかなどだ。
 ここでコンセンサスをとっておかないと、どこかで行き詰まったり漂流したりする。参加メンバーには国民的視点に立って、またどこが良いかという予断を持たずに考えてもらうことが大切だ。そのことからすれば、先にマップを出してしまったことが悔やまれる。本来は、科学的特性マップを最初に提示するということも、国が決めるのではなく討議の結論によるべきだったからである。                
(本シリーズはこの回で終了とします)

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