日本エネルギー会議

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処分場問題の難しさ(1~6)

 「核のごみ最終処分地選定へ/科学的特性マップ公表/「適地」は国土の7割」という見出しが紙面に現れたのが先月のこと。その後はほとんど話題として取り上げられず、先日NHK総合テレビの一般家庭向け番組でテーマになった程度だ。
 経済産業省が従来の轍を踏まぬようマップのネーミングなどに悩むなど、相当の時間をかけ慎重に行われた科学的特性マップの公表だが、それでもいくつかの問題に気づく。
マップを見た人はまず自分の住んでいるところが何色なのかを注視する。濃い緑色「最も好ましい地域」は海岸から20キロの幅で日本列島をぐるりと取り巻いている。これが面積の3割に当たる。 濃い緑色の地域の自治体や住人は「最も好ましい地域」と名指しされて、緊張、不安、怒り、反発などの反応をし、今後もどうなるか注視しなくてはならないと警戒感を強める。
 「好ましい区域」薄い緑色の地域の住民もおなじように感じるが、濃い緑色の
 地域があるので、それほどの不安は感じない。まず自分の所には来ないようだとひと安心し、そのうちこの問題は忘れてしまうだろう。
 「好ましくない特性」とされたグレーの地域の住民は、よかったと思い、すぐに処分場問題から関心が離れてしまう。「好ましくない特性」の黄色の地域の住民は、自分たちが住んでいる所が自然災害のリスクの高い地域であることを再確認するが、処分場問題については自分たちには関係のない問題だと思う。
 マップ公表の目的のひとつが核のゴミの処分に国民の関心を集めることであったが、マップを公表することで全国の7割の地域の住民がこの問題に関心を持たなくなるとともに、残りの3割の域の住民がこの問題に身構えるようになった。
 自治体や首長にしても同じだ。これは処分場問題の解決にとって好ましいことではあるまい。
 処分場を引き受けるには大義が必要であり、全国民から感謝と尊敬の念を受けることによって心が満たされることが必要条件だ。石原伸晃環境大臣が除染土壌の中間貯蔵施設建設受け入れ問題に対して「最後は金目でしょう」と発言して猛反発を受けたことを忘れてはならない。
 敦賀市の前市長が「福井の人たちは貧しいから金が欲しくて危険な原発を呼び込んだと大阪人が言ったそうだがとんでもないことだ。大阪人こそ福井に足を向けて寝るべきではない」と怒ったことがある。
 他の地域からカネ目当てと言われたのでは誰も引き受ける所はない。最後までこの問題に全国が関心を持つようにするべきなのだ。

 公表された科学的特性マップでは「好ましい地域」の中でも特に海岸から20キロまでが「最も好ましい地域」として濃い緑色で表示された。核のごみが再処理施設からガラス固化体となって海上ルートで搬入されることから輸送面でも好ましいので「最も好ましい」としたと説明されている。
 ガラス固化体は六ヶ所村の日本原燃の施設か、海外の再処理工場から来るから、運搬は船舶による海上輸送となり受け入れには港湾施設が必要なので海岸から20キロ以内の距離に最終処分場を設けたいという理屈はわかる。
 ガラス固化体など高レベル放射性廃棄物の輸送は、通常時速10キロで走るトレーラーで行われるので輸送時間は2時間以内でということだろう。ご丁寧に上り勾配もきつすぎないように処分場は標高1500メートル以上の場所はダメだとしている。テロなどを警戒したのか、あるいは沿道住民に配慮したのか高レベル放射性廃棄物の輸送を短時間に行えることにこだわっている。
 陸上輸送時間の短さはメリットと言えるが、海岸から20キロとしたためのデメリットもたくさんある。

・海岸から20キロに限定したために、好ましい地域が7割から3割となって、より選択肢が少なくなった。20キロと30キロ、あるいは40キロとどれほど違いがあるのか。輸送時間をどうしても2時間以内にするのは最優先課題ではあるまい。

・「最も好ましい地域」は他の地域に比べると平野が多く、最も人口密度が大きい場所であり土地の利用が進んでいる地域でもある。農業、漁業などとも関連し、工場や住宅なども最も多く財政も比較的豊か、科学的特性は良くても、社会的特性は最悪である。NUMOの近藤理事長も先日のテレビ出演で「北欧と比べると日本は人口密度が彼の地の100倍ですから」とため息をついていた。人口密度が悩みなのであれば、最も人口密度が高いところを「最も好ましい」としたのはなぜか。そこのところは理解に苦しむ。

・海岸といえば、日本の原発は冷却水確保のためすべて海岸にあり、立派な港湾施設も造られており原発敷地内は「最も好ましい地域」の中でも最有力な土地であるが、原発立地県の知事は「当県は原発など既にあるもの以外に負担をするつもりはない(福井県、鹿児島県、青森県)」とすでに拒否反応を示している。これが他の原発立地県にも伝染すれば、「最も好ましい地域」の多くを失うことになる。

・海岸はこれまで長年にわたって侵食をされつづけており、この点も配慮するとしているが、期間が万年単位では温暖化による海水面上昇、異常気象なども予想されるなど、外される地域も多いと考えられる。

・海岸にはこうした問題に敏感な漁業者がいる。彼らは福島第一原発の事故による操業自粛、風評被害を経験したり聞いたりしており極めて神経質である。
 また、日本人は海洋民族として海そのものや海洋生物に対する独特の聖域観を持っている。沿岸の陸地部分から斜めに穴を掘って処分場本体は海底という妙案もあるが、島嶼部も含めて海に近いことのハードルは結構高いのではないか。処分場を海底にした場合、陸上における地質などの科学的調査に加え、海水の挙動や水圧の問題、あるいは海底の地質に関することなど、検討課題がさらに増えてしまうことも悩ましい。

 処分場の議論は、まず、どのような議論の進め方をするべきかを衆知を集めて作り上げることから始める必要がある。経産省がとにかく議論をスタートさせるために無理矢理に科学的特性だけを切り離して示したために、議論の道筋が本来あるべきものから大きく外れてしまったようだ。   

 昨日の産経新聞に【いまエネルギー・環境を問う 竹内純子の一筆両断】と題する処分場問題に対するコラム「しんどい課題こそ議論する社会に」が掲載された。竹内氏はNPO法人国際環境経済研究所理事で、エネルギーや原子力の分野で活躍されている。(参考までに全文を末尾に添付した)
 その内容は、現世代が処分場問題から逃げずに考える必要を説得力のある文章で書いたもので、読んでみると竹内氏がテレビやパネルで話される時に感じる誇張のない冷静でロジックのしっかりしたスマートな印象を受ける。
 タイトルのつけかたも見事。だが、このコラムを読んだ原子力に否定的、あるいはやや否定的な人たち(産経新聞の読者はそうではない人が多いようだが)がどのような反応をするかを考えると、次のようになる。

1. 責任問題に触れない
 コラムには「原子力のゴミについては、政府あるいは電力会社の責任で対処すべきと突き放される方も多いかもしれません。とはいえ、わが国が原発のメリットを享受してきた見返りとして、既にゴミは存在しています」と書かれているが、ここまで処分場が決まらなかったことについて、いままで原子力の関係者は誰も自分の責任を認め謝ったことがないが、それを許してよいものか。原発のメリットを享受してきたと言われても、それは国や電力会社に押し付けられてきたものだ。

2.核燃料サイクルの事実上の破綻を認めない
 コラムには「原発を始めた当初は特に、長期的にウラン価格が上昇していくと予想されていました。そうした背景から、一度使用した核燃料をリサイクルして再び使う核燃料サイクル政策の実現を目指したのです」と書かれているが、予想を外したのは専門家であり、核燃料サイクルが実現するはずと思い込んだのは当事者たち。
 実現を目指したということでしかたがなかったと言いたいようだが、それは無責任というものだ。これから再処理施設が稼働すればますます使いようのないプルトニウムが貯まることになるが、使用済み燃料の直接処分にも、学術会議が提言している廃棄物の総量規制にも触れていないし、そもそもここの文章は処分場探しとは関係がない。

3. つながりが不明
 コラムには「ネガティブ情報こそ開示すること、そしてプロセスの透明性を確保し、自治体の意思を尊重する姿勢が必要でしょう。悪い情報を伝えないということが、いかに信頼を損ね、のちのコミュニケーションを阻害するか、日本の原子力関係者は学んだはずです。
 半面、私たち国民も、この社会の一員として、解決に向けて取り組む姿勢が求められるのではないでしょうか」と書かれている。前半と後半を「半面」という言葉で繋いでいるが、半面とはどのような意味なのか不明だ。
 原子力関係者がネガティブ情報を開示するから、国民も解決に取り組む姿勢を取るべきだというのならどちらが先かは言わずもがなだ。国民にそのような姿勢を望むのなら、原子力関係者がまず率先して情報開示のやり方を変えなくてはならないはずだ。

4. 詮無いことなのか
 コラムには「目の前のエネルギー確保を優先し、処分場も決めずに原子力の利用を始めたのかと先人を批判しても詮無いこと。解決に向けた努力をしないのであれば、私たちも後世の人たちからの批判を甘受せねばなりません」と書かれているが、きちんと総括することは大事なことであり、日本の社会がそれを行ってこなかったのも事実だ。
 私たちが先人を批判することと、私たちが後世の人たちから批判されることとは別問題だ。先人を批判する暇があったら自分たちが後世批判されないようにせよと言いたいようだが、後先考えず「やるしかない」とやってしまったことを「詮無いこと」で片付けても良いものだろうか。

 やはり竹内氏は「壇上の人」なのではないだろうか。
                            
(参考)
9月14日付産経新聞【いまエネルギー・環境を問う 竹内純子の一筆両断】と題する処分場問題に対するコラム「しんどい課題こそ議論する社会に」全文

 今年7月、政府は原子力発電に伴って出るゴミの処分に関する「科学的特性マップ」を公表しました。そもそもゴミはあまり考えたくない話題。特に原子力のゴミについては、政府あるいは電力会社の責任で対処すべきと突き放される方も多いかもしれません。とはいえ、わが国が原発のメリットを享受してきた見返りとして、既にゴミは存在しています。今回は原子力発電のゴミについて考えてみたいと思います。
 原発は、ウランでできた核燃料を燃やして蒸気を作り、その蒸気でタービンを回して電気を起こすのですが、核燃料は一度使ってもまだ多くの資源を含んでいます。日本は石油や石炭などの化石燃料も輸入に頼っていますが、ウランも海外に依存しています。原発を始めた当初は特に、長期的にウラン価格が上昇していくと予想されていました。そうした背景から、一度使用した核燃料をリサイクルして再び使う「核燃料サイクル政策」の実現を目指したのです。
 再処理する工程で、放射線の非常に強い廃液が出ます。この廃液をどうするか。これまで複数の処分方法が検討されましたが、溶けたガラスと混ぜ合わせて形状を安定させ、分厚い金属で覆うなどしたうえで、地下300メートル以深に埋めてしまう地層処分が最も妥当であると考えられています。しかし、どこに埋設するのかの決断は容易ではありません。
 諸外国を見渡しても、決定済みなのはフィンランドやスウェーデンなど一部の国のみで、米国、イギリス、ドイツそして日本はどこに処分するか白紙の状態です。

 フィンランドやスウェーデンは、なぜ処分場の場所を決めることができたのでしょうか?
 以前来日したスウェーデンの処分施設建設予定地の市長は、決定プロセスの公開性・透明性や安全面に関して国の規制当局が適切に関与していたことに加えて、処分場が立地するメリットを市民が共有できたことを、挙げていました。政府からの補助金で市の財政に余裕ができるだけでなく、“ハイテク技術が集まる工業地帯”になることを期待して、誘致したというのです。単に土を掘って面倒なゴミを埋めることではなく、高度な安全管理に関する技術や、後世に危険物がそこにあることを伝える社会文化的手法など、さまざまな知見を必要とする未来に向けた事業だ-。そう考えていると聞きました。
 実はこうした考え方は北欧に独特というわけでもなく、カナダでは処分場の誘致に22もの自治体が手を挙げ、現在そのうちの9自治体で調査が行われています。しかし逆に、米国やドイツでは候補地と呼ばれるところがあったものの、拙速な判断が災いして、頓挫してしまいました。

 海外の経験に学ぶのであれば、まずネガティブ情報こそ開示すること、そしてプロセスの透明性を確保し、自治体の意思を尊重する姿勢が必要でしょう。悪い情報を伝えないということが、いかに信頼を損ね、のちのコミュニケーションを阻害するか、日本の原子力関係者は学んだはずです。半面、私たち国民も、この社会の一員として、解決に向けて取り組む姿勢が求められるのではないでしょうか。
 目の前のエネルギー確保を優先し、処分場も決めずに原子力の利用を始めたのかと先人を批判しても詮無いこと。解決に向けた努力をしないのであれば、私たちも後世の人たちからの批判を甘受せねばなりません。問題を先送りせず、解決に向けた努力したという姿勢を後世に示すためにも、しんどい課題こそ議論する社会でありたいと思いませんか?

 資源エネルギー庁は今回の科学的特性マップ公表に当たり、「政府として原発事故の収束と復興に全力を挙げており、相応の配慮が必要」として、福島県での説明会の開催は予定していないとした。
 福島第一原発の事故にともなう廃棄物の中間貯蔵施設をすでに引き受けた福島県民にとっては当然だとの思いもあるが、以前から処分場は引き受けないという意思表示はしてはいない。原発を10基抱えてきた福島県としては、高レベル放射性廃棄物の最終処分場について説明を聞く機会を与えられないというのは残念な気もするし、他県の人々が福島県を説明の対象から外したことをどう思うかにも関心がある。
 「政府として原発事故の収束と復興に全力を挙げており、相応の配慮が必要」という文言も意図がよくわからない。福島県は福島第一原発の事故で大きな迷惑をかけたからこれ以上はかけられないというのか、復興に忙しいので説明など聞く余裕がないと思っているのか。
 もし茨城県の北部や宮城県の南部が処分場候補地になった場合、福島県も大いに影響がある。そのような所は政府が申し入れをしないのだろうか。原発立地と同様に隣接、隣隣接の自治体の意見をどの程度まで聴くのかという問題につながるが、それはさておいても、福島県を説明会の対象外にしたことは不自然だ。
 青森県は高レベル放射性廃棄物を六ヶ所村の日本原燃の施設で預かる際に、最終処分場としないと約束しているので処分場は対象外だ。すでに鹿児島県知事は処分場を拒否すると表明。福井県の西川一誠知事は「発電は引き受けてきたが、中間貯蔵や処分まで引き受ける義務はない」と県外設置を迫っている。
 すると原発のある県では住民からなぜ自分の所も対象外にするよう主張しないのかと知事に突き上げがくることが予想される。全国民のために大きな負担をしているという点では、米軍や自衛隊の基地をたくさん抱えている県では、自分たちの所には有無を言わさず大きなリスクのある基地が置かれているのはおかしいという意見が出るだろう。
 資源エネルギー庁が今回は科学的特性マップ公表だとしたにもかかわらず、何故科学的特性ではない「地元の負担問題」を同時に言いだしたのか理解に苦しむ。福島の廃炉や六ヶ所村での仮貯蔵という現実に対して少しでも問題が生じてはまずいと思ったのか。自分たちが今担当していることに関して、わずかでも波風が立っては困るという官僚のエゴが見え隠れするようでは、世代を超えた処分場の解決はとうてい無理だろう。 

 福島県だけ説明会除外は問題ありと指摘したが、そもそも科学的特性マップだけで問題解決の突破口としようとするやり方が正しくない。
 各地でマップの説明会をしたあと、国が自治体に調査を申し入れ、調査の結果が良ければ処分場決定という流れを示しているが、いくつの自治体に調査申し入れをするか決めているわけでもない。
 もし、ひとつの自治体に絞って国が申し入れをした場合、断られれば次の候補自治体に順番に申し入れをするつもりなのか。他が断ったものを受け入れる自治体が出るとは思われない。下手をすれば、地元住民を深刻な分断にし、周囲の自治体との関係も壊す恐れのある話に自治体の首長や議会、そして住民が耐えられるのか。これは原発立地で何回も経験したことだ。
 また、同時に複数の自治体に申し入れをすることで、反対派の勢力を分散することになるにしても、以前の自治体が自主的に手をあげるやり方とほとんど変わらない。鹿児島県のように知事がいち早く反対表明をしたところには申し入れをしないとなれば、そのことを他の知事にはどのような説明をするつもりなのか。
 このあたりを明らかにせずに説明会だけやっても次にはつながらない。
何故ガラス固化体の処分方法として地層処分を優先的にやるのか。他に選択肢がないのか、地層処分以外の方法についての研究はやめてしまうのかなどの説明も国民は求めるはずだ。地層処分ありきは誰がいつ決めたのか。海外の先行事例が地層処分だから日本も地層処分なのか。そのことについて国民が理解しているとは思われない。
 調査だけで20年かけるとしているが、その間に高レベル放射性廃棄物処分技術は進歩しないのだろうか。実現しそうもないことを計画に組み込むのもいけないが、これからの技術的進歩をまったく想定しないのも適切ではない。地下300メートルではなく、地下3000メートルも研究していることが報じられているが、その結果いかんで今の科学的マップは変わるのかも知りたいところだ。
 石油、石炭、鉄鉱石など有用な地下資源のあるところは除外するとしているが、今後どのようなものが有用な地下資源になるかまだわからない。安全になるのは10万年後と言っているわりには近視眼的だ。調査は約20年かけて行われ、問題がなければ最終処分地が決まるとなっているが、その時点で存在する断層が見つかっていない可能性もある。
 地方の人口減少高齢化によって過疎化する自治体が国からの調査申し入れを受けてくれることを期待しているようだが、そのような地域では自治体の合併が進んでおり、今後も増えていく傾向にある。その場合、合併した相手が受け入れる意思がないことも考えられる。
 また都道府県から道州制になった場合はどうなのか。せっかく決めても合併先の反対に潰されたり、また合併話が処分場調査の申し入れによって破談することも考えられる。
 
 「原子力を国民の手に取り戻す」を合言葉に、労働団体や商工団体、原子力有識者、一般市民の方々と共同体を構築しようとする団体である原子力国民会議は、「原子力国民会議だより第17号」に次のように書いている。
 「最終処分地選定で社会的・政治的に多くの困難に直面していた欧米諸国では、21世紀に入って大きな進展を見せ始めています。それは押しつけられたというそれまでに施設の立地における地域住民の思いからの決別をはかる政策を取り入れたからと考えられるのですが、新たな最終処分基本方針は、欧米の最終処分政策とも調和しています。(下線は筆者)
 それは、時間はかかるかもしれないが国民や地域住民が対話の場を通じて最終処分問題の解決に向けた意思決定プロセスに参加することを促す急がば回れ政策といえます」とある。
 まったく同感。だが、下線部分はそうではなかろう。今の政権や経済産業省も勘違いをしている。国民や地域住民に意思決定プロセスに参加してもらうことは当然で、大切なのは押し付けられたという思いからの決別なのだ。
 従来の対話の場は官僚がお膳立てしたものであり、国の原案に反対する意見も言わせるが聞き置くだけに終わるという形式的なもので、国民やの住民は国が自分たち意見など真剣に聞く気はさらさらないと見抜いている。
 そもそも、いままで原子力開発を進めるなかで、国はエネルギー政策については、自分たち中央が決めたことが正しいのだから、国民はあれこれ言わずに黙ってついてくればよいと言わんばかりの態度であり、中央が勝手に決めて自分たちに押し付けたものと国民や住民は捉えている。
 住民参加といっても国の意向に沿った意見陳述をする者が用意されていて、反対意見は言わせるだけで、それで十分意見を聴いたので後は国に任せてもらうというやり方だったのだ。パブリックコメントについても同じで、国民や地域住民は過去の経験から、いくらコメントしてもなんら反映されないと怒っている。
 処分場問題の話し合いは、今までやってきたような、そして今回もやろうとしているような中央主導のやり方は採るべきではない。NUMOにしても電力会社にしても、舞台に上がるのは控えた方がうまく行く。
 原子力に関係している人たちは、傍聴に徹して技術的な質問があった場合にだけ発言するくらいにした方が良い。自治体の首長なども傍聴席がよいだろう。
司会も議長も国や電力会社とは縁もゆかりもない人にお願いする。あらゆる分野、あらゆる階層から発言を求め、取りまとめ役は哲学者や宗教家、歴史家、法律家、教育者、社会学者などに委ねるのが望ましい。
 それはこの問題が世代間の倫理問題であり、国民ひとりひとりの権利や義務と大いに関係するからで、この点も欧米から学べることだ。 
運営そのものを国やNUMOでなく、メンバー自身が決める。議論することは、高レベル放射性廃棄物の処分問題を次世代に先送りしないとの共通認識の下、処分場決定において優先的に考慮されるべき事柄、次世代に対する現世代の責任、処分場を引き受ける側の大義名分、地域が負う負担の中身、負担の公平、処分場に決まった地域及びその周辺の地域の負担に対する償い、処分場にならなかった地域の人々の理解、長い年月にわたって約束が守られるようにするための工夫、どのようにして国民に処分場決定に関心を持ってもらうかなどだ。
 ここでコンセンサスをとっておかないと、どこかで行き詰まったり漂流したりする。参加メンバーには国民的視点に立って、またどこが良いかという予断を持たずに考えてもらうことが大切だ。そのことからすれば、先にマップを出してしまったことが悔やまれる。本来は、科学的特性マップを最初に提示するということも、国が決めるのではなく話し合いの結論によるべきだったからである。
                                 (完)

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