日本エネルギー会議

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ゼロリスクを考える

 世の中、ゼロリスクはないことは誰もが認めるところだ。だが、その受け取り方は二通りあるようだ。
 ひとつは「ゼロリスクはないからリスクがもっと小さくなるようどこまでも努力を続ける必要がある」というもの。原子力規制委員会の田中前委員長は「基準はクリアしても安全とは言えません」と言っていたが、そのことを指しているのだろう。
 もうひとつは、「ゼロリスクはありえないから、どんなにリスクを小さくしても事故はいつか起きる」というもの。「だから万一に備えておかなければならない」と続く。
 前者の場合、どこまでもゼロを追及すれば、いくら金があっても足りない。すると経済性がどんどんなくなり実現が難しくなる。多重化すればするだけ費用がかかりメンテナンスも大変になる。すると、経験上ここまでやっておけば大丈夫、やりすぎるのは無駄と意見が出てくる。
 後者はどこまでも完全を求めるのではなく、現実に事故が起きることを想定しておく考えだ。だから、多重化はほどほどにして事故の拡大防止を考える。例えば、すべてを耐火構造にするより消火器をいくつか備える方が合理性だ。そうした発想は欧米に多く、またそれが人々から受け入れられている。
 ところが日本では前者の「どこまでも追及」型が人気で、後者の「万一の備え」型は人気がないので、事業者もあまりやりたがらない。事業者は僅かでもリスクがあることを言えば、反発を喰らうのでリスクが顕在化することにあまり触れたくないのだ。
 福島第一原発の事故以前、過酷事故対策や避難計画が形式的で現実には使い物にならないものであったことからもわかる。
 もっとも、前者型で「安全対策で設備を強化します」と言うと「なんだ、今までは危ないことをやっていたのか」とこれまた叱られるのだ。
 日本人はどうしても理性より感情が先に立つ傾向がある。だから平和ボケにもなりやすいのだ。その結果、日本では前者も後者もどちらも不徹底という最悪なことになる。その結果が福島第一原発の事故だとも言える。
 西洋のことわざに Hope for the best and prepare for the worst.  (最善のものを希望せよ。しかし最悪のものに備えよ)というのがある。実にバランスの取れた考え方だ。 
これに対応する日本のことわざを探してみた。
 「備えあれば憂いなし」「転ばぬ先の杖」「後悔先に立たず」「念には念を入れよ」「良いうちから養生」「予防は治療に勝る」「用心に怪我なし」「用心は前にあり」といったところだが、結果論が多くなんとなくしっくりこない。
 「石橋を叩いて渡る」は、あいつは用心深すぎてダメだと非難するときに使われることが多く、慎重にということではなさそうだ。
 反対語は、「泥棒を見て縄をなう」とあるが日本人はこれを数多く経験してきたが、いっこうに治らないので、このことわざが生き続けるのだろう。

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