日本エネルギー会議

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大企業と不祥事(2)

 JISがいわゆる基準値を決めているのに対して、ISOは仕事のやり方、手順を社内で決めてそれを文書化しておくというものだ。「モノを作る際の手順を決めなさい」「対応について決めておきなさい」という要求であり、「自社ではこのようにする」と決めておけばよい。
 ただし、決めたからには誰でもそのやり方でやらねばならない、そして何から何まで記録しておき、後から検証出来るようにしなければならないというのがISOの主旨だ。
 日本人がこうした規格に触れたのはその時がおそらく初めてで、我々はそんなものがなくても問題なく仕事が出来る、これは責任感が希薄な未熟練労働者が多い途上国向けのものだと反発がすごかった。
 箸の上げ下ろしに至るまで何でも文書にしなければいけないので仕事以外に時間を取られる。文書を作成することが仕事になってしまい肝心の仕事に身が入らないなどとさんざんだった。
 さらに毎年外部の審査があって、PDCAを回して毎年実績が向上することが認証を維持するために必要であり、この審査を受けるための準備がひと仕事だった。ぎりぎり出来るところまで達成してしまうと次回の審査時に困ると思ったほどだ。
 今回、不祥事を起こした企業はほとんどISO取得済のはず。これから認証をどのように維持していたのか知りたいところだ。「ISO方式など我々にはいらない」と言っていた日本企業だが、今や不祥事を防ぐためにISO方式を徹底してやらなければならないことになっている。
 著名な哲学者である山折哲雄氏は、今回の不祥事の連続に対して「国民性」と指摘しているが、そうではないだろう。福島第一原発の事故に関する民間事故調の黒川委員長が「日本的事故」と書いた序文(英語版にだけ書いて日本語版には書かなかった)に対して、海外メディアからは「国民性のせいにしては何も解決につながらない」と痛烈に批判をされたことは記憶に新しい。
 「日本的」「国民性」などと大きく構えしまうと国民性は長い歴史があってそうなったので簡単には変えられないとなり、責任も曖昧になって何をどう直したら良いのか分からなくなる。せめて不祥事を起こした企業に共通する問題点を探し出し、具体的に対策を講ずる必要がある。
 今回、当該企業の株が下がって大損した株主、製品を購入して迷惑を被った消費者、不正を長い間見つけることが出来なかった監督官庁は、それぞれ不正を内部で隠せないような仕組みを作るように当該企業に要求するべきだ。
 何か重大な事が起きてしまうと原因を「国民性」「日本的」とあやふやにして誰も傷つかないようにすること自体、誠に日本的である。とても海外では通用しないだろう。
                             (つづく)

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