日本エネルギー会議

  • 設立趣旨
  • お問合せ

戦争調査会と原発事故原因の探求(1)

 先週、井上寿一著「戦争調査会 幻の政府文書を読み解く」(講談社現代新書)を読んだ。井上寿一氏は法学博士で学習院大学学長である。
 敗戦後、戦争が何故起きたかを日本側で調査するため戦争調査会が作られ、その第一回総会は敗戦の翌年の3月だった。調査会の活動はGHQの指示により途中で中止されたが、調査会が当事者に聞き取りを行い議論の末に作成した資料は国会公文書館と国立国会図書館憲政資料室の書庫で眠りつづけ、2016年にようやく公表された。井上氏はその資料に基づいて戦争調査会が出したであろう報告書に当たるものをこの本で書いている。
 昭和19年、終戦の半年前に生まれた私は、毎日のように母に背負われて防空壕に逃げ込んだということを小学校に入ってから幾度となく聞かされた。「何故戦争をしたのか。どうして止められなかったのか」とよく母親に問うていたが、答えは「いつのまにか戦争をしていた。どうすることもできなかった」であったため私は不満だった。一主婦であった母にはそう答えるしかなかったのだろうが、今考えると私は戦争調査会のテーマを母親に聞いていたのだ。
 井上氏はこの本の最後に次のように書いている。
 「戦争は単一要因ではなく、複数の要因の複雑な相互関係の結果として起きる。戦争の直接的な体験者がいなくなって何年、何十年を経ても、戦争の時代の全体像を考え続ける歴史的な想像力を鍛えなくてはならない」 
 太平洋戦争の惨禍は空前絶後であり、福島第一原発の事故とは比べ物にはならない。だが、福島の事故は世界の原発事故の中でも特筆すべき事故であったことは確かであり、「福島第一原発の事故は第二の敗戦」とも評された。私はこの文章の戦争を原発事故と読み替えてみた。
 福島第一原発の事故は想定外の大津波によって全電源が喪失し、原子炉の冷却が出来なくなったことによって起きたという説明は物理的事象だけのことであり、やはり大事故にしてしまった複数の要因があって、複雑な相互関係があったはずである。本土空襲という事態を考えず、備えがなかった国民が家を焼かれ逃げまどったことは、突然の避難指示があった原発周辺の住民の場合と同じである。
 本によれば戦争調査会は五つの部会からなっていた。第一部 政治外交、第二部 軍事、 第三部 財政経済、第四部 思想文化、第五部 科学技術の五部会である。福島第一原発の事故もこのような項目をあげて、さまざまな角度から検証するべきである。また、井上氏がこの本を書く事が出来たのは資料保存がされ、情報公開がされたからだ。福島第一原発の事故はその点大丈夫なのだろうか。
 戦争調査会は極東国際軍事裁判の被告には聴取が出来ず、そのすぐ下にいた人から聴取をせざるを得なかった。同じように現在、東京電力の当時の首脳陣は裁判の被告となっているので裁判以外の証言を取るのは難しい。また、吉田所長など既に亡くなっておられる方もいる。
 日米開戦に至るまで、何度となく戦争回避の機会があったにもかかわらず、また、ポツダム宣言受諾までも幾度となく戦争終結の機会があったが、国の指導者たちはことごとく逃して国を滅ぼす寸前まで無謀な戦いをしてしまった。運命の分かれ道がどこだったかについても戦争調査会は追跡していることがこの本で読み取れる。これについても戦争を原発事故と言い換えて考察して見る必要がある。
 福島第一原発の事故に関しては、国会事故調、政府事故調、民間事故調のほかに東京電力や原子力安全推進協会なども報告書を出している。NHKのETV特集 原子力政策検討会(通称島村検討会)の音声記録も参考になる。だが、戦争調査会(井上氏の著書を報告とみなす)と比較すると調査会は未完ではあるが、その捉え方は広範囲、かつ的確であり今後、戦争を起こさないための教訓がしっかりと示されている。
 原発事故で避難してから7年が経った。この本を読んだことにより、私は福島第一原発の事故についてますます広く、深く考えなくてはならないとの思いを持った。職業人生のすべてを原子力業界で過ごした者として、また直接的に原子力事故の被害を経験した者として、福島第一原発の事故の原因は何だったのか、何故避けることが出来なかったについてこれからも複数の要因の複雑な相互関係を追求しないではいられない。       (つづく)

  • データベース室
  • エネルギーとは?
  • 世界と日本のエネルギー
  • 原子力の論点
  • 放射線と健康
Facebook Twitter