日本エネルギー会議

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戦争調査会と原発事故原因の探求(3)

 福島第一原発の事故に関する調査会の第二部会は、我が国への原発導入時から福島第一原発の事故に至る間、行政や法律によって、いかにして福島第一原発の事故の下地がつくりあげられたかを調査する。以下に第二部会で取り上げる論点について概略を述べる。

・我が国では原子力開発に係る国の責任と権限は多くの省庁にまたがっている。原発に関しては主に経済産業省の所管であるが、他に厚生労働省、国土交通省、総務省、農林水産省、財務省、外務省、環境省、法務省、文部科学省、内閣府、復興庁などほとんどの省庁が所管事項を持っており、いわゆる縦割り行政が行われてきた。このため電力会社は建設、運転、廃炉、廃棄物処理処分の各段階で、ほとんどの官庁との許認可対応が必要となっていた。

・商業炉は経済産業省、研究炉は文部科学省(旧科学技術庁)に所管が分けられていたために、力が分散するとともに、総合的な開発計画づくりや共通の規制基準が困難であった。

・日本では開発の当初から、独立して原子力安全規制に係る行政を担う組織がなく、原発の推進を行う経済産業省の中に安全規制を行う部局があったに過ぎない。また、その陣容もアメリカの規制当局と比較して弱体であったため、規制の立場を最後まで主張することは難しかった。

・規制当局の職員は短期間在籍の者が多く、専門性が養われることもなかった。まったく違う畑から異動した者が高い専門性を必要とする検査官などをしていた例もあった。職員に専門性をつけさせる独自の人材育成の仕組みも確立されておらず、規制当局で実務に当たる外郭団体に電力会社やメーカーの退職者を採用することで間に合わせていた。

・実際に過酷事故が起きた場合にどのような対応が出来るかについても、そのような場面は起きないことを前提としていたため、必要な検討がされないままになっていた。

・経済産業省の中で規制担当の主要ポストは腰掛け的で、減点を気にして重要課題が先送りされていた。省の権限を守るために電力会社の望む規制緩和や規制撤廃には消極的であり、テロ対策など新たに必要となった規制強化も対応が遅れた。

・電気事業法、原子炉等規制法とそれに基づく政令、規則などは抜本的な改正ではなく、必要に応じて一部の見直しや継ぎ足しで済まされていた。

・原子力開発にかかわる省庁の仕事のやり方は概して形式主義、権威主義、文書主義、前例尊重であり、実践的な安全のための先取り的な規制が行われることはなかった。このため、電力会社やメーカーは膨大な数の点検や書類の作成に追われて、実質的な業務に支障を来す状況に苦しんでいた。

・経済産業省などは許認可権限を背景に、業務の無料請負、原子力の広報活動支援、自治体への働きかけ、住民への説明、海外情報の収集などを電力会社に求めていた。さらに電力会社は高級官僚に対して電力会社や関連団体への天下り先ポストを用意するようになり、逆に電力会社が省庁に自分たちに都合のよい要望や要求を出すなど、互いに持ちつ持たれつの関係になっていった。

・電力会社の集まりである電気事業連合会の強い政治力によって、政治家から関係省庁に対して電力会社の意向を国の計画や予算配分に強く反映するよう圧力が加わった。また、電力総連、連合出身の政治家によっても関係省庁に圧力がかけられた。

・原子力委員会は原子力開発に関する網羅的な計画の策定や予算に係る所掌事務を行っていたが、その事務局には企業や研究開発機関が出向者を出しており、委員のうち1名のポストは電力会社役員経験者に当てられるなど電力会社や機関の情報や考えが委員会に影響していた。

・原発の所管官庁である経済産業省が原発推進を前提とすることは当然であるが、原子力委員会や原子力安全委員会においても推進を前提として議論が行われていたため、安全性の確認が徹底しなかったと考えられる。

・日本の規制当局はアメリカで過酷事故の後に行われた電力会社に対する自主的安全性向上促進ではなく、あくまでも監督権限の強化というやり方を変えなかったため、電力会社はこれに合わせることに力を注いでいた。 

 日本の原子力開発を所管する省庁は安全が優先されなければならない組織に相応しくない体質であるとともに、原発で大事故が起きたときの対応能力の点で大きな問題を抱えていた。
(つづく)

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