日本エネルギー会議

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文明と原子力(4)

前回、文明に育てられた文化が文明の発展の足枷になることを見てきたが、次に示すような側面もある。文明が世界に広がるにつれて、それを社会的に実現する最適の仕組みとして資本主義や民主主義がある。欧米で生まれた「自由・人権」をベースにした資本主義と民主主義はいくたびかの大戦や紛争を経て、文化として次第に世界中に浸透して行った。

資本主義では自由な市場の下に企業が資本の論理で経済活動をする。企業の目的はいろいろだが共通することは投下資本に対する利益を得ることであり、それを株主と労働者に分配する。文明は利益を得るための道具として使われる。その際、利益を最大にしようとするあまり、文明の本質であるところの理性的、合理的でリアルなものが捻じ曲げられたり、無理をしたりする可能性がある。

次に、民主主義は国民一人一人の意見を全体の政策に反映するための仕組みであるが、そのため手続きに時間や労力がかかる上に、曖昧な結論になってしまう場合がしばしばある。それらは文明の持つ理性的、合理的なやり方の障害になる場合がある。さらに企業内においても事業を遂行するための組織が次第に巨大化し、複雑化する。その組織内に形成される文化はしばしばその組織の構成員の既得権を守ろうとして文明本来の合理性を損なってしまう。

原子力を例にとって見てみよう。原発を運営する組織が民間企業の場合、配当と賃金を支払って株主と労働者を満足するためにはより少ない費用でより良好なパーフォーマンスが必要である。これは時として安全性と競合する。(事故を起こせば元も子もないのだが…)ギリギリのところに収めようとするが必ず成功するとは限らない。資本主義でない場合は「利益」の代わりに「ノルマ」となり、チェルノブイリ原発事故のようなことにつながる。

また、国民一人一人は専門的な知識もないため、建設、運転、廃棄物処分などの決定には民主主義的な国ほど長い時間が必要となっている。これは文明の持つ合理性を損なうことになる。さらに事故などにより、人々が原発の経済性や安全性などに疑問を持つようになると、原子力文明はそれに対応しようとして原発の大型化、安全の強化のための巨額の追加投資、より現実的な過酷事故対応、住民説得のためのより長い説明をするようになる。大型化は人々に恐怖感を植え付け、追加投資は回収期間の長期化をもたらし、複雑化は人々に対する説明を困難にする。   

それは結果としてせっかくの原子力文明の力を削ぐことになり、競争相手である再生可能エネルギーに競争力をつけるための時間的余裕を与えてしまうことになる。こうしてかつては原発に対抗出来るほどの性能を持たなかった再生可能エネルギーに力をつけさせ、原発文明の地位が脅かされるようになるのである。                                              
(つづく)

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