日本エネルギー会議

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福島第一原発の見学会

東京電力は廃炉に関する理解活動として周辺市町村に住民の福島第一原発の見学会を呼びかけている。昨年暮に富岡町から見学会の案内があった。町によれば年に2回開催し、同じ人が何回でも参加出来る。一度の募集人員は20人とのことだが、先週の見学会に参加したのは私を含め10人(男性6人、女性4人)であった。富岡町からは生活環境課職員が1名同行した。

11時20分に富岡町の国道6号線沿いにある東京電力の廃炉資料館にマイカーで集合。資料館内部の展示物を急ぎ足で見たあと、会議室で案内をする東京電力の職員からスケジュールと注意事項が説明され、服装は私服のまま正午すぎに資料館前からバスに搭乗。国道6号線を15分程北上、大熊町夫沢から右折し福島第一原発入口に向かう。あたりは冬枯れで茶色い景色が続いている。

入口近くには新事務本館、協力企業棟、大型休憩所、入退域管理施設などがある。救護室脇には救急車2台が待機している。バスを降りると入域用のパスと線量計が配られ、金属探知機とPPゲートを通過するのは、他の原発の管理区域に入域するのと同じだ。入域したら別のバスが待機しており、それに乗り換えて約30分かけ構内を走行し、ときどき停車しながら東京電力社員が建物や作業内容の説明をする。
バスの座席の背後の入れ物には旅客機のように簡易なマスクとその取説を和文と英文で書いたシートが入っていた。見学といっても一度もバスを降りることはなく、見学者は終始椅子に座ったままだが、バスはある程度の高さがあるので現場はよく見ることが出来る。当然ながら建屋内部は一切見ることは出来ない。説明は丁寧で車内で質問は自由だった。ただし、セキュリティのためメモは許されるが写真撮影出来る機材は携帯出来ない。除染の結果、敷地の96%が特別の装備が必要のないエリアになったとの説明があったので、実際の作業者の数では、どのくらいの割合かと質問すると、約60%が該当し40%の作業者は装備が必要だと回答があった。また、構内で働く人数(東京電力社員と協力企業合計)は、ピーク時(2014年暮)の7000人から減って現在は4000人程度で、これからもしばらくはこの水準を維持する。また、その60%が地元の人だという。

構内はタンクだらけのはずだが、すぐ近くの巨大なタンクに視界が邪魔されて航空写真で見るような圧倒的な多さは感じない。気になるのは当初使っていた横長のタンクや解体されたフランジ型のタンクの部材が野積されて敷地を塞いでいることだ。タンクを増設するにはこれらの廃棄物の減容化が必要だ。

全体の印象としては原発建設中のヤードのようである。道路際には汚染水を送水したり、雨水を地下から吸い上げる井戸、それを海に導く管路など汚染水対策の設備が目立った。そうした施設があるために道幅が狭くなっている。ナンバープレートのないトラックやライトバンが多数駐車している。事故当時に構内にあった800台の車両は持ち出せないので、それをそのまま構内専用で使用しているのだ。構内にはガソリンスタンドや修理場がある。これらの車両は2020年には廃車する。

雨水が地下に浸透して汚染水を増やさないように、敷地のほとんどはアスファルトで覆われている。5、6号機のある双葉町の敷地にはまだ樹木があるが、これもまもなく施設増設のために切られるようだ。海に向かって下っていくメイン道路の法面もすべて覆われており、かつての緑豊かな福島第一原発構内の面影はないが、木がないために無機質で敷地全体はとてつもなく広く感じる。汚染水を浄化し海に流せたとしても、廃炉作業が進むにつれて、これだけ広い敷地であっても運用が苦しくなることは間違いないと思われた。これが全体から受ける印象である。他の原発の廃炉においても、日本海側など敷地の狭い原発では敷地の確保は大きな問題になることを示唆している。

1号機から4号機までの原子炉建屋が一望出来る場所で停車し、しばし燃料取り出し、排気筒上部解体などについて状況説明があった。曇っていて海は穏やか。何十メートルもある超大型の移動式クレーンが何基か建屋の周りで稼働している。作業者の姿は見えない。燃料取り出し用のドームや、飛散防止の柵により、水素爆発で吹き飛ばされ残った原子炉建屋上部の鉄骨や瓦礫は1号機の上部を除きほとんど見ることが出来ない。

バスは最後に原子炉建家の建っている海抜10メートルのレベルまで降りて行き、4号機の燃料取り出しのために事故後に造られた巨大な鉄構の脇に停車した。付近の建物の外壁に「津波はここまで到達した」と矢印でペイントされている。原子炉建屋の巨大さもさることながら、この高さまで来た津波の大きさに圧倒されるとともに、ここが全部津波に浸かってしまったのでは、当時の作業者の恐怖感はどれほどのものだったのかと改めて思った。

タービン建屋の海側はいまだに変形した復水タンク、基礎から引き離された油タンクなどがあって津波の被害が一番感じられる場所となっていた。専用港では海路到着した汚染水保管用の大型タンクが陸揚げされていた。再び大震災と
津波が来ないという保証はない。報道によれば、新たに北側に防潮堤を造るなど津波対策が計画されているようだ。

退域時の個人線量計測定結果は全員が0.01ミリシーベルト(10マイクロシーベルト)だった。その結果についてもその場で丁寧な説明があった。全身モニターは2台しかないが、以前原発で使用していたものより高性能で測定時間が非常に短く感じた。

バスを乗り換え、富岡町の廃炉資料館にもどったのが14時30分。会議室で質疑ののちアンケートを記入して15時に見学会は終了した。弁当はおろかお茶の一杯も出ないのは事故以前の見学会とは対照的だ。外周だけの見学ではあったが、「百聞は一見に如かず」とは言い得て妙である。廃炉工事をしながらの見学者受け入れは大変だとは思うが、東京電力しか出来ない貴重な社会貢献の一つだ。

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