日本エネルギー会議

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総理の日本語殺し

安倍総理大臣は沖縄の県民投票の結果に対して総理大臣として「重く受け止める」 と発言。だが辺野古の海の埋め立てはその日も続行されたことで、また日本語が一つ殺された。重く受け止めるとは一般的に、誤りを認め修正や方向転換を考えるということだが、総理大臣はあくまでも方針は変更せず、説明が足らないことがわかったから「しっかり丁寧な説明」をしたいらしい。

安倍総理大臣は原発についても「アンダーコントロール」、「世界最高水準の規制基準」、「安全確保を前提とした原子力発電所の再稼働」などの言葉を連発し、日本語を皆殺しにした。経済産業大臣などの閣僚や電力会社の幹部もこれを乱用している。安全の定義や程度を示さないで、「安全確保を前提」と言うのは単に言葉だけに頼って再稼働を正当化しようとしており「安全」を冒涜している。総理大臣などの言葉は新たな安全神話に過ぎない。高速道路を「安全を前提に走ること」など誰も出来ないはずだ。

これと対照的なのが、原子力規制委員会の初代委員長である田中氏の「新規制基準の審査に合格したけれども安全とは言えない」だ。業界からは委員長発言としてはいかがなものかとの声も聞こえたが、田中委員長はそうした発言を繰り返した。かつて原子力委員だったS氏は田中元委員長の発言について、肯定はするものの舌足らずの説明であり、「現時点の知見を結集して安全確保に最大限の対策を講じた。しかし、現在の知見からは予見出来ないことが絶対無いとは言い切れないから、絶対安全だとは言えない。この予見性を高める努力もしている」くらいの説明はすべきだろうと指摘している。まったくその通りだと思う。

絶対安全を言い出すと一歩も動けなくなる。これは福島第一原発の事故前に監督官庁や電力会社が堕ちた罠である。やはり安全は確率で考える必要があり、実際人々は昔からそのようにしてきたから、空気より重い飛行機も世界中を飛んでいる。原発の場合も1974年に出されたアメリカのラスムッセン報告を嚆矢として、確率論を用いて安全性を計算したり、自動車事故の確率と原発事故の確率を比較したりしたものを多くの関係者が参考にしてきた。今の原発も基本的にはそうした考えがベースになっているはずだ。

人の命や健康は何ものにも代え難いとは言うものの、経済性や利便性の追求はいつも人々を危険な行為に駆り立てている。どの程度までの危険性を容認するか。それにはどの程度の受益がなくてはならないか、公衆に迷惑をかけるのはどの程度で控えるべきか。それがきちんと示され、人々の納得のうえで実施に移される必要がある。  

福島第一原発事故により汚染した土壌を除染したことにより発生した大量の土砂のなかから基準値以下のもの(全体の99パーセント)を高速道路の基礎の下に入れて再利用することに南相馬市の住民が反発している。福島原発から除去出来ないトリチウムの入った水を基準値以下になるよう希釈して、海に放流することにも漁業者たちが猛烈に反対している。

だが、安全について真剣に考えず「安全確保を前提として」などの枕詞を安易に使い、言葉だけで政策を通そうとしている政府に、獏とした放射能の不安を理由に反対する人々を科学的に考えない人々だと決め付ける資格はない。総理大臣が日本語を殺したことで、日本国の凋落は加速する。これは現下の最も由々しき事象である。

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