日本エネルギー会議

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何故、危機の回避が難しいのか

世界はいままでになく危機感が漂っている。核戦争偶発も心配される中東情勢、宇宙にまで広がる米中の覇権争い、地球温暖化が原因と思われる各地の森林火事と大洪水に高潮、化学物質による生態系の破壊、いつかは起きるパンデミック、差し迫る食糧と水の不足、世界恐慌など起きれば人類だけでなく地球上の生命の存続も危うくなる大きなリスクがそこら中に転がっている。科学技術の進化は留まるところを知らず、夢のような便益をもたらしているが、同時に新たな危機を産み、破壊力を強め、その使い方次第では危険極まりない殺戮の手段となる。現代は考えるのも恐ろしい時代だ。

終末時計が残り100秒という過去最悪の状況にもかかわらず、各国は課題解決のための協調をしようともせず、いくつかの国には国民の分断を煽る政治家や独裁者が出現し、混乱を助長している。このままでは危機は回避出来ず、早晩、世界文明の消滅はおろか、他の地球上の生命を共連れにした人類の絶滅も危惧される。この危機を回避するには、何故、危機の回避が難しいのか、その原因を指摘しなくてはならない。

仏教の教えに、釈迦がお腹を空かした虎のために自分が崖から飛び降りて餌になる話がある。それを描いた絵もある。それは人が普通はそうしたことと反対に、自分が生きるために生き物を殺すことを意味している。人の生命力、活動の源泉は自分が生きることだ。これはエゴである。虎に喰われていては自分が生きられない。虎を殺してまで生きようとする。これは動物としての人の本能であり、DNAに組み込まれている。世界中の誰もがこの本能を持っており、だから人類は世界中に広がり繁栄しているのだ。今の世の混乱も争いもすべてこのエゴから起きているに相違ない。動物は例外なく生き、子孫を残すというエゴで行動している。エゴを捨てるのは死ぬこと、種の絶滅と同義だ。人も動物だからそのことからは逃れようもない。

未開社会では仲間内で分け与え、助け合うこと基本的ルールであった。そうしなければ誰もが生き残れなかったからだ。しかし、農耕が始まり、道具が発明されると、努力次第で他人より多くのものを得られるようになった。それは人と人が競争する社会だ。それは現在まで続いている。もちろんユニセフの活動や国境なき医師団などがないわけではないが…それらはごく一部の人に限られている。アメリカの有権者の多くは自分のエゴのためにトランプ氏を支持している。であるならば、何十億人がいまさら未開社会には戻れず、危機の回避はそもそも無理な話なのだ。

だが、話はここで終わらない。東日本大震災の時、あのような大災害であったにもかかわらず、食糧の奪い合いもなくおとなしく支援を待ち、互いに助け合った日本人の姿に世界は皆驚いた。外国人が日本に来ると整列乗車や落し物が戻ってくることに感心する。日本人であれば、ラッシュアワーに駅のホームで整列乗車するのは駅のアナウンスに言われなくても当たり前のことだ。そうするのが自分にとっても一番楽に乗車出来ることをわかっている。狭い国土で大きな人口がいる国であるから自然にそのようなことになったのか、千年の時をかけて血なまぐさい争いをした後にそうなった、あるいは神道、仏教、儒教などが混在する日本特有の宗教のようなものが人々に浸透したせいなのかはわからない。

仏教の説話に次のような場面がある。人々が輪になって食事をしているが、それぞれが長い箸を持っているために自分では食べ物を自分の口に入れることは出来ず、自分が取ったものは対角にいる人に食べさせ、自分はその人から食べ物を取ってもらい口に入れてもらう。そうしなければ誰も食べ物にありつけないということを教えている話だ。「お互い様」、「損して得取れ」「情けは人のためならず」などの言葉は誰でも知っている。
外国から帰ってくると成田上空で緑あふれる大地を見て感激すると同時に、旅行中のピリピリした緊張感からも開放される。日本に長く住んでいる外国人や帰化した外国人も多分同じような感覚を持っていると思う。いずれにしても日本独特の安心感は世界遺産だと思う。今回のいつになく獏とした話の結論は、世界中の人々を日本に呼び、日本社会での日常の暮らしを体験してもらうことが、もしかしたら危機の回避につながるかもしれないということである。

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