日本エネルギー会議

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住民帰還を阻止したのは誰か

福島第一原発の事故から9年経っても依然として約4万人が避難している。今月、原発のお膝元の双葉町の一部が避難指示を解除され、隣の大熊町、さらに隣の富岡町、浪江町も3年前に一部が解除されている。解除した区域も含め大半の元住民はアンケート調査に「帰還しない」「帰還を決められない」と回答しており、現在各自治体とも帰還率は10パーセント以下だ。元住民を帰還しない気持ちにさせたのは、国の区域解除の時期と東電の賠償のやり方だ。

まず、避難指示解除に時間がかかりすぎた。富岡町の約3分の2、浪江町の約半分、大熊町の一部が解除されたのは事故から6年経過した2017年。解除された区域は町のなかでも住宅地ではなく、もともと人口が集中していない地域が多かったことも影響している。住民の気持ちとしては3年程度が元の家に戻ろうとする限度だ。これ以上長くなれば人によってさまざまな事情で戻るという意思がなくなる。

実際に家屋も3年放置するとかなり傷む。庭も草が生い茂り、街としての形態が保てなくなる。テレビが紹介する震災当時のままの荒れ果てた映像でおなじみだ。国が住民の帰還を真剣に求めるならば、3年以内にまず人口が多かった住宅地を集中して除染するべきだった。その頃、国は遠く離れた福島市や郡山市などの除染に掛かりきっていた。

最も大きな影響を与えたのは、避難後のこの3年間で賠償がほとんど終了し、各世帯が1千万円単位の金を手にしたことだ。1人月10万円の精神的苦痛に対する賠償は先々までの分まで一括して支払らわれたことで、家族1人あたり700~1450万円と巨額になった。4人家族なら軽く5千万円を超す。借家住まいだった世帯もこれで自分の家を持つことが出来た。これは5~10年間は避難指示が解除されないとの前提で早期に支払われたものだ。

また、家や土地に関しても、地価の高い都市部でも十分に家を新築出来るだけの余裕のある額が上乗せされ支払われた。ちなみに原発周辺の町村では代々暮らしてきたこともあり、持ち家率がかなり高い。これに家財の補償なども加えれば、いままで住んでいた家より質の高く広い家が新築出来た。この場合、家を新築あるいは中古を購入してその領収書を提出することが上乗せ賠償支払いの条件であったため、賠償金を目一杯使って立派な家を造る動機となった。もし、帰還した時点で賠償として不動産賠償が支払われる方式であったなら、帰還しようとする意欲が沸いたのではないか。避難中は元住んでいた家に見合った借家料を支払えばよかったのである。

現役世代は避難先から職場に通勤し、自営業は避難先で事業を始める。子供達は避難先で学校に通い始める。それは新築した家からである。このような状況を作っておいて、いまさら避難指示を解除したからといって、立派な新築の家を置いて元の町に帰還を決意する人はほとんどいないだろう。職場は遠くなり、学校は転校しなくてはならない。自営業は人口が極端に減った地域で事業を再開することに躊躇して当然だ。若い世代を中心に、住民の多くはいままで経
験してこなかった都会の利便性を好んでいる。元の家も住むにはかなりの補修が必要であり、家を新築した人は既に賠償金は使ってしまっている。

地域の汚染は場所によってまちまちだが、避難指示の解除は大きなくくりで地域分けされる。帰還を希望する世帯がいても、個別には解除はされず、行政区などで大くくりされる。私の家の敷地は既に解除された場所と線量は変わらずに低いものだが、帰還困難区域の線引きの内側50メートルのところであるために解除されず、帰還も出来ない。これは国の都合でそうなっている。本人が線量は充分低いので放射線の心配はしないで帰還したい、除染なしでも解除してくれと申し入れてもだめなのだ。

何故、国や東電がこのような避難指示解除や賠償をやったかと考えると、それは避難者も含め福島県民から出来るだけ苦情が出ないようにしたいということだろう。また、区域を大くくりにすることで管理がしやすいこともあったはずだ。今考えると、いずれも国や東電の立場が苦しくならないようにしたいという意図があったように思える。

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