日本エネルギー会議

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原発の安全と地元

電力会社と地元の関係は、原発の安全にどのように影響するだろうか。立地を計画している段階では、地元は首長などが誘致をする考えを持ったとしても住民の多くは原発が危険なものではないかと心配するのが当然である。そこで電力会社は立地した場合のメリットとともに原発の安全性について住民を説得し始める。自治体は経済産業省と同じで原発推進が目的であり、住民の説得を支援する。

安全がどのように確保されるかの説明を理解するためには、あるレベルの知識と能力が必要であり、地元では議員であっても一般住民であっても技術的な安全性を理解するには限界がある。また、いずれの自治体であっても電力会社に対抗するだけの情報も技術力もない。議会内に特別委員会を設置して委員に専門家を入れたとしても出来るのは政治的駆け引きの範囲であることが多い。

すると地元自治体は国による安全性の保証を求めることになる。国がどのような基準で審査し安全であると確認しているのか。事故が起きた場合、どのように拡大を防ぎ住民に被害が及ばないようにされているのかといったことを説明してもらって国という権力の後ろ盾があることで安全性に納得する。その場合、万一、事故が起きた場合の避難や賠償については説明されることはまずない。事故が起きないことを前提としているからである。また、原発の必要性(エネルギー安全保障、環境問題など)やメリット(地元への経済効果、雇用)は詳しく説明がされ、危険性についての心配を打ち消すことが行われる。

建設開始とともに始まる地元雇用はトロイの木馬である。いったん電力会社に入社した地元の学生は住民にとって「地元住民の安全を最大に考えてくれる」頼もしい味方と考えられる。自分の身内や地元を危険な目に遭わせることはしないはずだと信頼し、電力会社の社員でありながら地元住民の立場を持っていることを頼りにし、本人もその自覚はある。極端な例であるが福島第一原発の事故の際、地元出身の電力会社の社員や下請け工事会社の社員は皆、地元住民や生まれ故郷を守るためには命を賭けようとした。映画「Fukushima50」が描いている通りである。

では、原子炉安全の維持向上といった大きな問題についてはどうだろうか。電力会社はどれも大企業であり、特に地方では経済界のリーダー的存在で、学生たちの就職先として憧れの存在であり続けてきた。大企業は大組織であり、組織を外敵から守ることを大切にする力も強い。組織として決めたことを忠実に実行し、外部から批判されることは漏らさないのが組織人というものである。

地元採用の社員は各職場に分散配置されていて、それぞれの職場での情報しか持ち合わせていない。安全にかかる情報でも現場での違反やヒヤリ・ハット的な事柄であり、政策にかかわるような大きな事柄ではない。情報交換といっても、せいぜい休日に地元の仲間通しで話をする程度で、組織的な情報活動はない。守秘義務の壁も存在するため、家族でも社内の話をすることは出来ない。機微な情報を守ろうとする圧力は、先輩、後輩の関係も影響する。職場だけでなく狭い地域では親戚、同窓会など強い影響力を持っている。地元では消防団などもある。電力会社や子会社は自治体の職員、警察、消防などの管理職の天下り先にもなっている。他の地域で採用された社員は、現地で結婚して地元住民になる場合もある。すると電力会社の社員に地元に多くの親類縁者ができる。そうした上下関係、横の関係が濃密なのは常である。これはある意味監視社会である。  

メーカーや工事会社の社員あるいは請負関係の作業者ともなれば、現場には精通していたとしても立場は弱く、目安箱などはおかれていても効果はあまり期待できない。下手なことをして解雇されたり、仕事を打ち切られたりすれば元も子もない。工事関係での地元下請け企業とその取引先、原発に直接納品する商業者も時間の経過とともに半ば固定化されていく。原発を批判しない者は地元に網の目のように広がっていく。彼らは立派な原子力ムラの一員である。このように、組織の構造や地元の立場からして、地元が原発の安全に資することはあまり期待できない。それどころか地元というものは、現場のミスや不具合、法令違反に関して隠蔽にかかわり安全をないがしろにする行為に加担しかねないのである。

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