日本エネルギー会議

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再考、チェルノブイリ原発事故

最近メディアでは新型コロナウイルスとの闘いにおいて優れているのは、どのような政治体制なのかという問題が論じられている。同じように原発事故防止と政治体制の関係を考えてみることにする。チェルノブイリ原発事故(1986年)が起きた当時、日本の電力会社はしきりに「我が国の原発はチェルノブイリ原発とは、原子炉のタイプが違うので日本ではあのような事故は起きない。また、ソ連という政治体制の違う国で起きた事故で、日本のような民主主義国家では起きない。」と述べて地元住民の不安を打ち消していた。私自身もチェルノブイリ原発事故のことを聞かれたらそのような説明をしていた記憶がある。

ソ連の政治体制は日本と違うとしたが、当時も今も日本は本来の民主主義体制ではなく、日本的な色彩の強い民主主義なのではないかと最近思うようになった。民意で選ばれた政治家が政策を打ち出し、それに対して反対運動が盛り上がらなければ民意が政策に同意したとみなされ国会で与党の多数決で政策が承認されていく。日本的色彩とは幕府、お上は民衆が支持しなければ崩壊するが、普段はお上の出す指示に素直に従うという空気のこと。今回のコロナ対策でもそうだった。

日本の原子力政策はソ連とは違うが、情報開示の不徹底さも含め十分に民主的であったわけではない。選挙で個別の政策についてまでこだわりを持って投票する人は多くはない。候補者も力強さや清廉さを強調する抽象的なイメージを訴えるのにポスターの写真映りに力を入れ、街頭では名前の連呼である。人気のある政治家の応援演説もある。国でも地方でも原発はかろうじて公約に入る場合もあるが、政党や候補者が有権者に問うのは多くは経済対策や福祉政策などである。

地方選挙では、原発立地の自治体では首長や議員が「原発受け入れの是非」を争うこともあるが、それは差し迫った判断を求められた時であって、ほとんどの選挙は国政であれ地方であれ、候補者は「原発問題は票につながらない」「態度をはっきりさせると票になることもあるが票を失う原因にもなる」と考えてあいまいな態度を取るか避けて通る。住民投票はめったに行われないし、やろうとすると議員たち自分たちの権利が害されると反対する。

原発はこれまで国策民営の名の下に、大手電力会社が原子炉メーカーと組んで開発が行われてきた。国は電源三法交付金などさまざまな法律を与党の力で採択し、地元の自治体が受け入れやすいようこれを支援してきた。その交付金の原資は税金で全国民から徴収されてきたが、国民にその認識はほとんどなかった。共産主義国では共産党の幹部が決めて国民はそれに従うのだが、仕組みとしては日本の場合も政策をしっかり説明しないまま選挙でたくさん票を集めたというだけで政権を取り、原子力政策の内容も官僚まかせになっていたので、実はそれほどの違いはなかった。

ソ連でも日本でも原発政策は大事故を起こすまで変更されることはなかった。政治家は支持者、支援者を失いたくない、官僚たちは自分たちの無謬性にこだわり天下り先の確保に熱心だ。電力会社はメンツと立場を守り、それで飯を食っている多くの人たちの期待に応える必要があり、原子力政策は問題を貯め続けながらも50年以上同一路線で続けられた。情報公開が不十分なまま国民がチェックする機会はほとんどなく政策や計画が進められる状況においては、科学的、合理的なものではない理由で物事が判断されてしまう可能性がある。そして大事故が発生する。

チェルノブイリ事故では事故が起きる前、どのような危険な運転計画が実施されようとしたか関係者以外は知るよしもなかった。東京電力内部で大津波の警告に対してどのような議論がされたのか社外はもとより社内でも知る人は少なかった。福島第一原発の事故が起きてようやく原発を出来るだけ少なくする、規制当局の独立性を高めなくてはならないなどの意見が上がった。

そもそもの成り立ちは違っても、ソ連も日本も原子力開発については同じような状況が繰り広げられた。共通するのは誰のためでもない政権や利権を握っている人たちのための体制維持と政策固執である。共産主義体制は体制崩壊につながる大きな失敗を経験し、民主主義体制でありながら原発政策推進に関しては共産主義体制に近いものであった日本の原発推進体制もやはり大きな失敗をした。

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