日本エネルギー会議

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混乱のもと

 輪郭のはっきりしている浮世絵、判定勝ちのない国技、最初から悪人とわかる越後屋、原発反対派か賛成派かに分けられる学者。白黒つけることが好きで、潔さを信条とする国民性は、しばしば社会的混乱のもとになる。
 この潔癖性が逆に危険を呼び寄せることになるのは一種のパラドックスだ。残余のリスクを受容することを認めようとしない人々に対して、国や電力会社は過剰に適応した。
 危険性について内容の説明をやめて、安全性の説明に工夫を凝らすようになった。残余のリスクに対して対策を講ずれば、安全性を高めると言えば、過去に述べた安全の説明が嘘だったことになってしまうと考える「安全神話の罠」にかかってしまった。「さらなる安全のために」と言っても、「今までは安全ではなかったのか」と問い詰められるので、前任者の説明の内容から外れることは避けた。
 次なる潔癖症パラドックスは被ばくに関してのこと。まったく条件をつけずに「放射線被ばくは少なければ少ないほど望ましい」「確率は非常に低いとしても、放射線によって遺伝子が損傷し、それが修復されなければ癌になる」などと聞けば、「福島県産の食品は放射線を測っているとしても買いたくない」「子供は外で遊ばせない」と反応する。この世には存在しない絶対安全を求める時、コストや他の影響はまったく頭から去ってしまうのだ。その結果は福島の人々は必要以上の負担をしながら生活している。
 何故、このようなことになるのか。社会が安定し、豊かになったことも関連していると思う。私は昭和19年生まれだが、戦後まもなく社会全体が貧しかった時のことを思うと、今の親たちの子供に対する心配は明らかに行き過ぎているが、それが可能であるという状況である限り、そうするのが親の気持ちだ。食品に関して福島県産がいやだったら、北海道産でもアメリカ産でも選択が可能だ。屋外がダメだったら室内の遊び場まで車で行くことが出来る。今は、潔癖にやろうと思えば何でも出来る状況にある。
 もう一つは、政治、行政、大企業などに対する不信感が、大きくなっていることだ。メーカー品でもかつてのような信頼感はない。人々は少々潔癖感を強くしていないと被害にあってからでは遅いと考える。今日では、情報量が飛躍的に増加し、その伝達速度も上がった。あまりにいろいろな情報が飛び交うから、選択する能力も時間も圧倒的に不足する。そこで出来ることは保守的になることで、それが潔癖性と結びつくからやっかいだ。人々は良いニュースでなく、悪いニュースに飛びつく傾向がある。潔癖はすぐに信念となるが、ある程度の汚れを許容することは妥協と取られ、信念にはなりにくい。福島の復興にあたってこのような県民の心理状態を認識する必要がある。
 福島県では、国や県、それに東電に対する信頼感は福島第一原発の事故で地に落ちてしまい、いまだに回復はおぼつかない。簡単に信用してくれなければ、今までの何倍もの時間と労力をかけなければならない。金は使っているのだが、一向に信頼が回復しないのは、丁寧さや根気強さに欠けるためだ。

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