日本エネルギー会議

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よろしかったでしょうか

 東京電力の福島原子力補償相談室に電話し、何か質問をすると、「少々お待ちいただいてもよろしかったでしょうか」とオペレーターに言われ、暫し待たされる場合が多い。いままで聞いたこともない日本語の言い回しで、過去形なのも気になるが、「はい」と答えるしかない。相手が肯定的に「はい」と答えるしかない質問を次々と繰り出すという交渉術を聞いたことがあるが、その応用なのだろうか。
 そういえば、最近ファミリーレストランに行くと、必ず「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」と聞き返される。コーヒー一杯注文しても、これをやられるので、人を馬鹿にしているのかと気分が悪い。使っているオペレーターやウエイトレスは、マニュアルにしたがって無意識に使っているのだろうが「昔の人間」である私は、気になってしかたがない。
 丁寧に聞こえるが、自分の都合を巧に相手に責任転嫁している。何か問題があればお客様が「はい」と言ったのだから責任はあなたですよと、開き直られそうで不快である。「少々お待ちください」で良いではないか、などと考えるが、これも世相だと割り切るべきなのか。
 この言い方は、これからますます国中に広がっていきそうだ。政治家や役人も使いそうな気がする。いままでは、彼らは選挙で選ばれたことを盾にとって、大事なことを国民に聞かずどんどん進めてきた。これからは、「少々放射能が漏れますが、よろしかったでしょうか」「電気代が上がりますが、よろしかったでしょうか」「石炭の使用で炭酸ガスを排出しますが、よろしかったでしょうか」と聞いてくれるのであれば、今までよりはましだと考えた方がよさそうだ。
 何も特別な確認をしなくても、こちらの気持ちを先取りしてくれる和風旅館のサービス。もしも不都合があれば、一切の責任をとってくれる安心感。いままで、日本社会という和風旅館で暮らしてきた人々にとって、気持ちの休まることのない生活だが、年金問題からはじまり原発事故に至る国や公益の無責任、いい加減さを目にすれば、国民はもう幻想を捨てて、旅館の利用契約や請求書の中身に目を光らせるしかない。これを避けたり、省いてきたりしたから、今になってツケが回ってきたのだ。

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