日本エネルギー会議

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過剰適応する人々

 自然界では、環境変化への適応が出来ない場合とともに、環境への過剰適応も種の絶滅を招く。人間社会においても、古い考えや習慣に固執して滅んだ民族や、過剰適応したことにより次の環境変化により市場から淘汰された企業などの例が、歴史学者や経済学者によってしばしば語られている。
 今から約十年前、あいつぐ不祥事をきっかけに原発の管理が杜撰ではないかとの批判に対して、原子力委員長等が主導して規制に品質保証の手法を取り入れた。この際、電力会社は、本来自主管理として行うべき品質保証活動を法的に強制することによる弊害に気づいていたが、不祥事に対する世間の批難が続く中、とにかく国のやり方に従うという方針を取った。案の定、現場では検査のための書類の山が築かれ、メーカーや関係会社まで総動員して、現場とは関係のない書類整備に貴重な時間が使われるようになった。
 数年後に、現場を訪問した際、「今の規制当局のやり方では現場に負担が掛かりすぎるので改善をするよう努力する」と言うと、返ってきた現場の主任の答えは「また、変えるのはやめてほしい。せっかく今の検査のやり方にも慣れてきたところなので、今変えられると返って混乱してしまう」であった。その時は、なるほど現場はそんなものかと思ったが、今から考えれば、これは明らかに過剰適応であった。
 話は変わるが、ロシアの原発を訪問したときに、ロシア人の管理者が日本のことを大変うらやましいというので、何がうらやましいのかと聞くと、「優秀な下請け企業がたくさんある。ロシアでもそうであればどれほど楽か」「日本人のすごいところは計画通り物事が進むことで、あれは魔法としか思えない」と口々に言うのだった。今思えば、ロシア人がうらやましがったのは、環境に過剰適応する下請けであり、現場スタッフだったのだ。
 管理部門は現場や下請けが過剰適応するのをいいことに、管理部門は次々と難題を現場に指示して、彼らの過剰適応に期待するべきではない。日本人の適応能力は素晴らしく、スポーツのルールでも生産活動の国際基準でも、その変化に短時間に適応してしまう。そのくせ、ルールや基準づくりでイニシアティブを取るのは苦手だ。
 日本人の受身体質は、相手の立会いに合わせることが出来る横綱相撲や巌流島で木刀を持って試合に臨んだ武蔵に憧れるところから来ているのかもしれないが、原発の管理を過剰適応能力に依存するようでは、再び大きな見逃しをしてしまう可能性が残る。

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