日本エネルギー会議

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仲間はずれを嫌う心理

前代未聞の原発事故から二年半を過ぎて、福島の被災者が一番注意していることは仲間はずれにならないことだ。大半が知らない土地で仮の生活をしており、親しく付き合いのできる相手はまだ少ない。そのような状況では、連絡を取り合っている元の町内の人たちとのつながりは、なにより大切なものだ。家族や親戚以外にも従来交流してきた仲間とは、携帯電話やメールなどでよく連絡を取り合っている。仕事上の仲間も大切で、暇にしていると言うと、一緒に仕事をやらないかと声を掛けてくれる。  

仲間との会話の中身は、第一原発の状況、放射線の身体への影響、食品の安全、健康状態や持病、車など大きな買い物、除染の進み具合、賠償の結果や見込み、避難先での仕事や受けている支援、仮設や借り上げの期間延長問題、残してきた自宅の状態、高齢な親の面倒や子供の学校、冠婚葬祭(特に亡くなった人)の情報などだ。旅行やスポーツ、趣味の話も多い。

情報交換に熱心な原因は、あらゆることに関して、仲間と同じ境遇であることを確認するためで、自分だけが取り残されていないことを確認したいのが本音。人が旅行をすればしたくなる。新車を買ったと聞くと自分も欲しくなる。賠償金で避難先に家を建てたと聞けば自分たちも、そろそろどこに住んでいくかを考えなくてはと焦る。こうした他人への関心は、以前浜通りに住んでいた頃からも常に持っていが、避難してからは経済的、時間的な余裕もあり、他人への関心は一層大きなものとなっている。

放射線問題と東電の問題に関しては、誰かが抜けがけをしないか、互に監視しているような状況だ。「今のレベルの放射線は問題ない」と異論を唱えれば、即刻仲間はずれが待っている だから、保守的な意見しか言えない。同意を求められ、黙っていると異論を持っていると見られ、その人は元の住民仲間でなく、一風変わった人という評価になる。

「よく、あんなに放射線量の高いところにもどって子育てをしているものだ」「子供のことも考えずに地元野菜を買って食べている」などと陰口を聞きながら暮して行くのは若い母親にとって耐え難い。親しい相手や家族内でも、この手の話題に関しては、絶えず相手の顔色を伺いながら発言するようになる。
自分の考えより、皆がどう考えていて自分はその範囲内にいるのかどうかを様子をみながら生活するのは、戦時中の言論統制の中で暮らすようなものだ。もともと田舎というところは都会と違って、人の噂をなによりも気にするが、開放的な都市部に避難している人も、この呪縛から解き放たれてはいない。おかしいのは、地元の政治家もこの雰囲気を察知して避難住民から反発を受けないように、あたりさわりのない発言に終始していることだ。また、支援に来たボランティア、あるいは取材に来た人々もそれを感じているのか、言いたいことを言わずにいるように思える。

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