日本エネルギー会議

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一瞬の輝き

藤圭子のヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」の二番の歌詞は「十五、十六、十七と 私の人生暗かった 過去はどんなに暗くとも 夢は夜ひらく」(作詞石井まさを)である。私はこの歌詞を聞くたびに、何故か日本の原子力開発のことを歌詞に重ねてしまう。重ねるというより、原子力の場合、藤圭子のようにその初期に一瞬の輝きを放ったあとは、ずっと暗い時代が続いたような気がするからだ。

苦難に満ちた原電の東海発電所建設が終わるか終わらないうちに、敦賀1号、福島第一原発1号、美浜1号と軽水炉が導入され、瞬く間に全電力へ原子力が広がり、どの電力も遅れまいとしてサイトの確保、より大型で最新の形式の原発の建設を競い始めた。その頃は、各社およびメーカーとも、優秀な人材を原子力部門に集められるだけ集め、全力を挙げて原子力の比率を高めようとした。私は1967年の原電入社だが、先輩たちはみんな眩しく見え、どこまでも地平が広がっているような気がした。

しばらくすると、配管の応力腐食割れなどのトラブルで原発は停止し、そのあとも次々と問題が起きた。それらを克服していく間に、アメリカでスリーマイル島事故が起き、ソ連でチェルノブイリというとんでもない事故が起きた。日本でもJCOの事故で初めて放射線による死者が出た。

日本の原発の稼働率は、一旦トップクラスに近づいたが、その後は大地震、改造、不祥事で6割〜7割と低迷を続け、この間、二度の石油ショック、地球温暖化問題など追い風も吹いたこともあったが、稼働率はなかなか回復しなかった。近年、原子力は設備容量や発電量では全電源の三分の一を占めると称していたが、稼働率はけっして諸外国に誇れるようなものではなかった。

原発の国産化、大型化は進んだが、核燃料サイクルは進まず、もんじゅのトラブルで余ったプルトニウムはプルサーマルで凌ごうとしたが、高レベル放射性廃棄物最終処分地探しは進展が見られなかった。使用済燃料の中間貯蔵も必至となり、増設はいっこうに進まず、原発運転の維持にあくせくしながら過ごす日々が続いた。日本のメーカーが、アメリカやアジアを中心とした原子力ルネッサンスに光明を見出しはじめた矢先に、起こりえないと考えていたメルトダウンが福島第一原発で起きて全原発停止。福島第一原発の事故の処理の見通しがつかないままに、停止している原発の再稼働をなんとかしようと苦闘している。

待ちに待った再処理工場の完成も、規制委員会の検査が持ち越され、こんどこそ晴れ晴れと喜びたいという気持ちが封印されている。近年、アメリカでは原子力はシェールガスに押され気味で、勢いのあった韓国も不祥事に揺れている。1980年頃から原子力界はずっと長いトンネルに入っているような気がする。

福島第一原発の事故処理費、新たな基準による追加設備の費用、運転開始から40年を超える原発の運転期間延長のための費用、使用済燃料の処理処分に係る費用、廃炉費用、高レベル放射性廃棄物の処分費用などを積み上げたうえで、原子力が十分な安全性と経済性を持つことを証明しなければ、電力料金値上げに苦しむ消費者の納得は得られない。同時に、国際公約ともいうべき温暖化対策に原子力が欠かせないならば、国として電力会社として、その効果を省エネルギーや自然エネルギーと定量的に比較して国民の納得を得るようにしなくてはならない。

このように国民の理解の上で、堂々と原子力開発を進められるよう、政治にすっきりとした結論を出してもらわねば、原子力関係者は、いつまでも「どう咲きゃいいのか この私」と悶々としていなければならない。

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