日本エネルギー会議

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思いの差

福島第一原発の事故の経過がどうにか判明した頃、関係者は一様に「千年に一度の津波さえ来なければ、原発は過酷事故など起こさなかった」と思った。避難した住民はこの三年の間、「原発がこんな事故さえ起こさなければ、自分たちの人生は今とは随分変わったものになっていただろう」あるいは「東京電力がもう少ししっかり事故対策をやっていれば、故郷を捨てることもなかっただろう」と思い続けてきた。津波で家族を失った人も「原発事故さえなければ、捜索が出来たかもしれない」と言い、避難先で年寄りを亡くした家族は、「原発事故さえなければ、もっと長生き出来ただろう」と思うのだ。

地元ではもっと具体的に「東京電力が原発をここに造らなかったら」と言っているが、もっと単純に「原発さえなかったら」と言う人もいる。地元では、いままでの原発による雇用や財政面の恩恵を認めない人は誰もいないが、この「なかったら」の思いは地元住民に共通しており、県や各町村の福島第二原発も含めての「県内全原発の廃炉要求」の元になっている。

世界の潮流が原発増設で、途上国も次々と原発導入計画を具体化しようとしていること、化石燃料の輸入急増で貿易収支が大幅赤字を続けていること、自民党や各自治体で原発再稼働の動きが強まっているが、県民の思いは、これにほとんど影響さないものとなっている。「福島第一原発の事故後に、対策が強化され安全になったと言われても、もう福島には原発はいらない」というのが県内の空気であり、この空気に逆らうのはかなり勇気がいる。
関係者が「大津波さえ来なければ」と思うのと、避難している人をはじめとする福島県民の「原発さえなければ」の思いの差は、とても大きく見える。もうすぐ事故から三年が経つが、ほとんどの国民にとっての三年前の話が、地元福島ではまだ現在の話なのだ。

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