日本エネルギー会議

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なぜ今頃に

2月22日付読売新聞の目立たない場所に小さな記事が載った。見出しは「全原協、原発周辺4町視察」。この記事を見つけて、「なぜ今頃に」との思いを禁じ得なかった。なぜなら、私のエッセイ第1号が二年前の3月12日付、タイトルが「福島第一原発の視察を」であったからだ。そのエッセイの前半は次のようなものだ。

郡山市に避難してから、私は日本のメディア以外に、二組の外国人一行の対応をした。ひとつは台湾の行政院原子能委員会の一行であり、もうひとつはフランスの原発立地市長連合の一行である。彼らは警戒区域に入れなかったが、避難者がいる郡山市や南相馬市を訪問して原発事故の避難状況について学んでいった。日本の原子力委員会や全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)が福島第一原発の現場や避難所などを視察した話は、事故後一年経過した今になっても聞いたことがない。これはどうしたことなのだろうか。

全原協一行の目的は原発事故の実態や地元に与える影響などを見るというのだが、なぜ、視察が今頃なのだろうか。南相馬市長が、事故後すぐに全原協を脱退したのがおもしろくなかったのだろうか。視察が事故から三年もたって行われたことについては何の釈明もない。原発が立地している自治体の首長や議員にとって、何よりも福島の状況をいち早く見るべきではなかったのか。福井県で相手を非難するときに、好んで使われる表現をするのであれば「いったい、何を考えているのか」と言うことになる。

記事に戻ると、二日間の視察を終えて、全原協会長(1968年の設立以来、46年間ずっと敦賀市長が会長職についている)の河瀬敦賀市長は、「放射線の影響ですぐに復旧、復興にかかれないなど、想像以上に厳しい現状がわかった。二度と福島のような事故を起こさないためにも、国に対し、今まで以上に安全対策を求めていく」と語ったようだが、市長がいままでどんな想像をしていたのか知りたいものだ。「百聞は一見に如かず」という格言があるが、防災計画を考えなくはいけない者が、このようなことでは住民の生命と財産は守れない。

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