日本エネルギー会議

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想定外

ホリエモンが世間を騒がせていた頃、「想定内」という言葉がはやっていた。それが、福島第一原発の事故が起きてからは「想定外」という言葉に置き換わっている。政府事故調の中間報告書の「考察と提言」において、「想定外」を想定出来なかったことが、真の原因であり、今後の教訓とすべきことだと指摘されて、「想定外」はさらに有名になった。

言葉は恐ろしい。それはありもしないことをいかにもあるように思わせるからだ。銀行の本店を壮麗なビルにして、預金者に信用させるなど、見かけも人を説得するが、言葉はそれ以上の力がある。総理大臣はスピーチだけで、福島第一原発は心配ないと五輪を引き寄せたのだから、たいしたものだ。

リスクゼロはあり得ないと言いながらも、毎日のように「安全」が論じられ、それでも足りずに「安心」までつけて「安全安心」などという言葉に仕立て直し、それが大臣や知事の口から日常的に発せられている。それこそ中身がないままに、言葉の力だけに頼っている政治家の姿だ。

「想定外」が想定出来なかったことが、事故の真の原因であるとするならば、事故をなくすには「想定外」も想定するしかない。しかし、どこまで行っても想定外はなくならない。残余のリスクが残るので、それに備えると言っても、どんなリスクか分からずには備えることは出来ない。そうすると、可能な限り考えることが大切だ、常に考え続ける姿勢こそ大事なのだなどと、また言葉に頼り始める。

先週の赤旗日曜版は、再稼働のトップに立つ川内原発と九州の活火山の問題を取り上げている。かつて、原発が壊れるような大地震(あるいは火山の大噴火)があれば、その時はその地域も滅茶苦茶になって人も住めないだろうから、原発のことを心配しても意味がないという説明を聞いたことがある。これも安全神話の一つだったのかもしれない。

「想定外」を想定出来たとしても、対策もなしに想定すれば、それは不安をかきたてるだけだ。だから、「想定外」を想定するのと、対策を行うのはセットでなくてはならない。対策も出来ない「想定外」を想定するのは意味がないだけでなく無責任だ。もし、「想定外」は想定できたが対策が思いつかないようであれば、それはやってはいけないことになる。だから、原発を存続させたいのであれば、原発と超巨大地震、超巨大津波、超巨大噴火、あるいは原発と弾道ミサイルや大隕石の落下は、いつまでも「想定外」にとどめて置く必要がある。論理的に考えれば、「想定外」が想定出来たとたんに、原発はやめなくてはならなくなるからだ。

だが、幸いなことに、そのような「想定外」が起きる前兆を捉えて緊急に措置を講ずるという手が残されている。前兆がわかれば、急いで原発の運転を停止し、使用済燃料を炉やプールから出して、どこか安全な場所に移動すれば良い。前兆を捉える研究開発や緊急時の措置の検討を至急やるべきだと思うがどうだろう。

核保有国においては、予期せぬ核の暴発や核ミサイルの誤発射は「想定外」ではなく、また予兆を捉えることも極めて難しいことと思うが、核の放棄は行われていない。これに比べれば原発における対策の難しい「想定外」など、まだましなのかもしれない。

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