日本エネルギー会議

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ニヒルだろうか

最近の日本では、人々を納得させようと甘い言葉が氾濫している。「安全安心」「世界最高水準の厳しい基準」「待機児童ゼロ」「福島の復興なくして、日本の復興なし」などなど。

中でも私が、遺憾に思うのが「信頼の醸成」だ。信頼とはいったいどういうことか。誰が何を信頼するのか。誰を信頼せよというのか。信じるということは、実績のある人の言うことはそのまま疑わずに受け入れるということ。「信頼醸成」とは、より多くの人に黙って信用してもらえるようにするということだ。その意味では、信頼はいわば安全確認の手抜きにすぎない。

信号機のある横断歩道で、信号をよく守る日本人の歩行者。赤信号をじっと睨んでいて、青になったとたんに左右も確認せずに、いきなり渡り始める。信号機に命を預けるという感じで一目散に前に進む。赤信号になったのに突っ込んでくる馬鹿なドライバーは日本にはいないことを信じているのか。それとも、万一轢かれても、100パーセント自動車が悪いので、絶対に損はしないと考えているからなのか。子供達にまで、「手を高くあげて渡りましょう」などと教えている。手をあげていれば轢かれないとでも思っているのか。ドライバーもよくよく信頼されたものだ。

原子力の問題でも、原発立地地域では福島第一原発の事故以前は、盲目的信頼が続いてきたのだから、子供達のことを笑えない。原発の中でも、外見は丈夫そうな配管が中から侵食されて薄くなっていて、ある時突然蒸気が噴出し、そばにいた何人もの作業員が火傷で亡くなるという事故が美浜原発で起きている。今まで大丈夫だったからというのも通用しないのだ。信頼など単なる言葉であって、実体の無いものだと心得ておく必要がある。

事故を起こすと「信頼が一瞬にして崩れた」などと、アテが外れたような言い方をするが、よく考えると、今までノーチェック、ノーマークだったことを白状しているだけだ。「吾輩の辞書には不可能の文字はない」とはナポレオンの言葉だが、私の辞書には「信頼」の言葉はなく、あるのは「不信」だけである。あまりにもニヒルだろうか。

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