日本エネルギー会議

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忘れられる危機

人間、年を取ると若かりし日の失敗をいつまでも悔やむが、既にどうしようもない。年を取ると今までの辛いことは全部忘れ、良い思い出だけしか残っていない人もいるというが本当だろうか。認知症は周囲の大変さに比べ、本人に自覚はあまりないと聞く。

歴史問題でも事実は美化されやすい。大陸での消耗戦で国力をほとんど失いつつも辛くも勝利したのが日露戦争。だが、日本海海戦の大勝利にのみ焦点を当て、やっと勝てたことを忘れ、大鑑巨砲主義にこだわり、海戦での一発逆転を夢見て不敗神話を作り上げ、その結果が連合艦隊の壊滅だった。

原子力でもスリーマイル原発がメルトダウンしたが、住民避難をする必要がなく事態が収束したのは、必然ではなく運転員の操作がたまたま当たったからだったのではないか。東日本大震災で東海第二原発や福島第二原発、福島第一原発5、6号機は辛くもメルトダウンを免れたことを、所長たちの功績として高く評価する人が多い。(私も彼らは実によくやったと思うが)

あの大地震でも、たまたま1回線だけ外部電源がつながっていたり、1台だけ非常用電源が健全だったりしたことが役立った。福島第一原発の事故で、最悪のタイミングで1号機の水素爆発が起きたこととで、それまでの対応の苦労が水の泡となった反面、2号機のブローアウトパネルが飛んで、2号機は水素爆発しないですんだ。

東海第二原発では防潮堤の完成した直後に津波が襲い、福島第一原発でも免震重要棟が使用出来るようになって間もなくあの地震がきた。関係者の中には、あの時吉田昌郎氏が福島第一原発の所長であったことが最大の幸運だったと感じている人もいる。

現実問題として、運不運は偏らずどちらも適当にあったのであり、今後何か起きる時も同じように、適当にサイコロの目が出るのは間違いない。大切なことは、すべてが裏目に出たときのことを考えて、緊張感を解かないことだ。

旧日本軍がどうにもならなくなったのは、壊滅的被害があった戦いでも、大戦果で当方は損害軽微などと大本営が発表し始めてからだ。事故から3年がたち、福島第一原発1号機から4号機は鉄骨やガレキが撤去され、カバーに覆われてすっきりと綺麗な外観を見せているが、時間がたつにつれ、うまく行ったことだけが伝わり、実に危なかったという声が業界内部で消えてしまうことがないようにしなくてはならない。

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