日本エネルギー会議

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生まれ故郷

富岡町第二次復興計画を策定する目的の委員会が郡山市で開催されており、私も参加している。住民30人に富岡町役場若手職員が加わって、真剣な討議が続けられているが、その中に事故前は富岡町の幼稚園の先生をしていた20代の女性から「子供達は大人より避難先に早く溶け込んでおり、

彼らの生まれ故郷の富岡町のことをどのように伝えて言ったらよいか悩んでいる」との声があった。
現在、富岡町は三春町で幼稚園、小学校、中学校を運営しているが、バスで子供達を送迎している範囲は限られており、福島県全体に避難している町の子供の数から見ればほんの少しに過ぎない。まったくなくしてしまうと学校そのものがなくなってしまうので、その対策でもあるようだ。

富岡町の第二次復興計画は「10年後、30年後を見据えて」考えるという前提が示されている。人口の四分の一以上を占める高齢者は、その頃どの程度生き残っているのか。小さい子供のいる家庭はほとんどが、避難先など新たな場所に家を購入したか、あるいは購入予定でいる。そうなると現在40代後半から50代後半までの人が、数年後にどうにか富岡町に帰還する可能性が高い。避難先で生まれた子供にとっては生まれ故郷ではなく、お父さんとお母さんはもともと富岡町というところに住んでいたんだよ、という話になる。まるで、アメリカの黒人がその先祖を探す「ルーツ」という本のようなことになりそうだ。

会社を経営している男性からは、自分は単身赴任、家族は埼玉県に避難中だが、「子供達はもう言葉がすっかり埼玉で、自分だけが福島弁で孤立している」と言う話も出た。男性は国道4号線沿いに桜の木を植える「桜街道プロジェクト」で、子供を連れて広野など解除された区域の植樹をしている。何年か後に、大きくなった桜が咲くのを見に来ることで子供を故郷につなげたいと思い参加していると語った。

私は幼い時に滋賀県から東京に移住したが、毎年夏休みには帰って従兄弟達と琵琶湖で泳いだので、今でも滋賀県に対する思いはしっかり持っているという話を紹介した。今後区域解除が達成された暁には、子供とともに移住した家族は、お盆と正月に里帰りをするという形になることが考えられる。
転勤族の家庭で育った人には、こうした形は、あまり違和感はないが、ずっと田舎で生まれ育ち、就職も地元でしている人にとっては、これは相当に戸惑うことだ。10年も経てば、今の子供も成人して富岡町に職場を求めてくるかもしれない。それまで富岡町との関係を切らせないように頑張るしかない。

富岡町に昔から伝わる麓山(はやま)の火祭りで、松明を担いで急な山道を走って登った辛い体験が、世代を超えた共通の思い出だという声もあった。そのような行事を守っていき、それに家族ぐるみで参加するようなことをしなくてはならない。この財源としてふるさと納税を促進する(見返りは行事の参加案内)のはどうだろう。

写真は委員会の様子

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