日本エネルギー会議

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異郷での死

歳をとるといろいろ心配事が頭のなかに浮かんでは消えるもの。まして原発事故で避難して異郷の地で、親戚、知人、友人の誰それが亡くなった、葬儀はいつという知らせを聞くとショックだ。福島県では東日本大震災の直接死より関連死が上回っている。浜通りでは、関連死の多くは原発事故による避難に起因するものとされている。歳をとってから住み慣れた家を離れて生活をすることは避けたほうがいいと言われるが、双葉郡では何千人という高齢者がそのような目に遭った。

富岡町でも大熊町に一番近い(福島第一原発に一番近いということ)地区は帰還困難区域になるが、縁があってそこで農業を営む老夫婦と数年つきあっていた。その方は息子の家族と同居し、息子は東電の子会社に勤めていた。避難後、息子夫婦とは別々に暮らすようになり、いわき市にアパートを探して借り上げ住宅の形をとっていたが、すぐに80歳になる夫が認知症になってしまい施設に入った。残された老夫人は一人でアパート暮らしをしていたが、心身の疲れから突然倒れ意識不明となった。幸いすぐに発見されて一命はとりとめたが、搬送先の病院を退院しないまま、先日亡くなったとの知らせが入った。この方は原発関連死にはカウントされない。ノイローゼでもないし、持病の悪化でもないからだ。

先祖から引き継いだ広い田圃でコメを作り、家の周囲の畑ではネギなどの野菜を育て、昼間はずっと身体を動かす生活だった。二、三年前から米作りは他人に任せるようになったが、野菜作りは続けていた。自宅から大熊町に行くのに海岸に沿った道を通ると暑くても寒くても畑仕事をしているのを見かけ、よくネギなどを頂いたものだ。避難して一日中部屋から出ないようになって、夫はすぐに認知症になったという。もし、原発事故で避難しなければ、まだ元気に畑仕事をされていただろう。

葬儀は避難先のいわき市の斎場で行われたが、関係者が四方八方に散って避難しているので、たくさんの花輪やお供物が飾られている割には、親戚筋以外の参列者は思いのほか少なかった。富岡町で生まれ育っているので、本来ならば富岡のお寺での葬儀だったはずだ。喪主は長男が勤めたが、重い認知症の夫が式に来られなかったことも気の毒でならない。亡くなった本人も、人生の最後を異郷で終わるのは寂しかったはずだ。

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