日本エネルギー会議

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メシの種

昔、原子力発電所に勤務していた頃、現職の首長らが選挙のたびに候補者として発電所に挨拶に来た。発電所としてはこれを断るわけにもいかず、昼休みに職員や請負業者に声をかけて広場に集まってもらい、候補者の話を聞くことになる。そのあと、所長が集まってくれた人たちに協力に対するお礼を兼ねて、一言挨拶をするのが恒例となっていたが、聴衆にはいろいろな立場の人がいるので、どのような話をするかは難しい。ある所長は、「誰に投票してくれとは言えないし、言うつもりもない。ただ、自分のメシの種を否定するような候補者には投票しないで欲しい」と挨拶した。うまいことを言うなと当時は思った。

最近川内原発の再稼働問題のニュースをテレビで見ていて、薩摩川内市の主婦が再稼働についてどう思うかと質問されて、「ここでは原発の仕事をして生活をしている人がたくさんいるから、再稼働も仕方がないと思う」と答えているのを聞いて「メシの種」の話を思い出した。

はたしてメシの種は否定してはいけないものなのか。そこまで極端ではなくても、メシの種と安全とは混同すべきではないのか。安全神話にからんで素朴な疑問が生まれる。どのような仕事でもそうだと思うのだが、自分が手がけた仕事の意義や安全性に自信を持つことは必要なことではあるが、より慎重な考え方をしたり、疑問を持つことを否定したりすることはもっと問題ある行動だ。内部にいて疑問を呈する時、その表現方法や言っていく先は慎重であるべきだが、頭から信じるよりも正しい姿勢なのではないか。

原発の安全性や住民の安全確保は、メシの種ということとは切り離して、安全だという説明内容やその根拠に納得して判断するべきものだ。業界や労働組合あるいは学会などでも、しばしば同じような問題が発生しているはず。そこには組織防衛のために、組織内部での締め付けや、異論を言うものを排除しようとする傾向が見られる。そのようなことをした結果、組織が致命傷を負うような問題が、握りつぶされ、結果として大きな事故や不祥事を起こしてしまい、組織の存在そのものが許されなくなる可能性がある。やはり、メシの種から考え判断することは、よくないことだという結論になる。

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