日本エネルギー会議

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町の産業再生を考える

福島第一原発の事故で避難区域となった町村の中で、立地自治体の大熊町、双葉町は全域が帰還困難区域となっているが、富岡町と浪江町は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域と、まだら模様となっている。

楢葉町のように一度に全域が区域解除になれば、地震や津波で被害を受けた部分を除き、一斉に元の町に戻そうとする動きが出てくるが、地域が分断された状態が続く富岡町、浪江町などでは復興の動きが部分的で、これが影響したのか、両町民の最新アンケート結果によると、「もう町に戻らない」と記入した人が50パーセント近くになっている。約半数が賠償金などで、どこか別の場所に住居の手当をしたということだ。

私の住んでいた富岡町の復興のスタートは、人口が半減し、しかも高齢者が中心といった厳しいものになる。現在、土地や建物の除染が進められているが、帰還困難区域を除く地域についても、今後2年余りでは区域解除されない計画となっている。半数の人が「もう戻らない」ということは、家屋も半数は空家になり、農地も半分は耕作されなくなるということだ。そうなると、住民税、固定資産税、事業税など税収が期待出来ず、財政は今まで以上に交付金頼みになっている。町の復興計画は今後、産業復旧とともに特色のある産業を新たに興すことによって半分になった人口を回復させるようなものでなければならない。

(廃炉、除染事業関連消費を捉える)
浜街道と呼ばれる国道6号線は、広野火力、福島第二原発、福島第一原発の脇を通って海沿いにいわき市と南相馬市を結ぶ幹線道路であるが、先日、帰還困難区域を通り抜ける形で再開通が実現した。その結果、除染や第一原発の廃炉作業関係者や南北に通行する運輸関係者、訪問者などの車が1日1万台以上も通過するようになった。これだけ多くの交通があると、現実的には国道沿いの商売というものが十分に成り立つ。

大熊町と双葉町を通過する際には、窓を開けることも、一時停車することも禁止されているが、富岡町と浪江町の部分は大半が自由に立ち入れる区域となっているため、沿道でガソリンスタンド、車の整備、コンビニエンスストア、食堂、クリーニング店、作業衣や動工具を販売する店、建設機器のレンタルなど、さまざまな商売をすることが可能である。パチンコ店もやっていけそうだ。こうした店舗が開店してくれれば、帰還した住民も利用でき、これが一番現実的な産業再生の一歩となる。

もともと富岡町では第三次産業がGDPの6割を占めていたが、商業以外の第三次産業として、今後は高齢者に対する医療事業や介護などの福祉事業に強い需要があり、運輸、給食、薬、各種サービスなどへの波及効果も大きい。これに医療や介護に関する教育を行う施設を併設することも考えられる。元気な高齢者は、介護などの仕事をして収入と生きがいを得ることも出来る。富岡町に戻る高齢者は自宅で暮らすつもりで戻るが、そのうち施設の世話にならねばならず、そのための準備をいまからしておく必要がある。高齢者は富岡町だけでなく、近隣の町村も対象とすれば相当な数に上る。

(双葉郡の行政サービスの中心に)
全国の小規模自治体では、役場などの行政機関がその地域最大の雇用先、あるいは事業の発注元である。その意味で、富岡町はこれから双葉郡の中の行政やサービスの中心となることを目指すべきだ。例えば、警察、消防、法務局、福祉事務所、弁護士や司法書士事務所、病院、図書館、教育文化施設、スポーツ施設、トレーニング施設、リハビリ施設、郵便本局、農協、森林組合、銀行、携帯電話会社、さまざまな組織の本部。富岡町にはこれらの施設が数多くあったが、今後もこれらの施設を集めることで雇用を生み出すことが出来る。これらの施設は近隣町村の住民も利用するだろう。そこで働く人々は、当初はいわき市など周辺からの通勤でもよい。時間の経過とともに職住近接が便利だと解り、徐々に富岡に住むようになることが期待される。

(工場などの帰還を促進)
富岡町の第二次産業は製造業、建設業が中心であり、もともと町のGDPの3割を占めており、小規模ではあるが工業団地もあった。建設業は除染、インフラ復旧で事故以前にまして仕事があるが、加えて事故前から町で操業していた工場などの帰還再開を進めることだ。こうした企業は既に避難先に工場を借りて操業を再開しているケースもあるので、これを町に戻ってもらうよう促す必要がある。問題は従業員をどこから集めるかだが、車の通勤圏はいわき市から相馬市まで可能で、町で常磐高速道路の通行料金を補助するなどして元の従業員に戻ってもらうようにする必要がある。さらに特別な優遇制度を造って、県内有数の企業の工場などを誘致し雇用先を増やしていくことも考えられる。

(環境維持としての農林業の役割を)
富岡町の第一次産業は、福島第一原発の事故前は町のGDPの1割を占めていたに過ぎない。担い手も高齢者が中心であり、兼業農家が多く自家消費も多かったが、避難で誰もいなくなると、農林業が生活環境の維持に大きな役割を果たしていたことが明らかになった。
人口が半分になり、耕作されなくなる農地、手入れされなくなる山林が増えてくると、農林業の重要性が一層増すことになる。現在、コメ価格の低落などに加えて一度汚染した土地での作物に対する風評被害が続いており、例えセシウムが検出されなくても、生産された農作物などは、出荷出来ても販売には困難がつきまとう。

農林業と再生可能エネルギーの組み合わせは、これらの問題を一挙に解決出来る可能性を持っている。畑に高架式のソーラーパネルを設置することで、発電とともに畑での農作物の栽培をする。これは既に全国各地で挑戦が始まっている。

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