日本エネルギー会議

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原発があった町の悩み

この前の日曜日、NHK総合で「明日へ 支えあおう」という番組を見た。東日本大震災の復興を支援するシリーズで今回は、福島県双葉郡の川内村が舞台。富岡町の隣にある川内村は放射線量が低く、いち早く帰村宣言を出したところだ。昨年10月には避難指示もほぼ全域で解除になり居住可能となったが、まだ人口の半分近くがまだ戻っていない。

全国各地で村おこしを指導してきた講師が、村民30名ほどに九州の高千穂村などの実例を説明し、川内村の宝探しをしてそれを村おこしの起爆剤にしてはどうかともちかける内容だ。村民は清流に育つイワナ、凍み餅、山菜料理、祭礼、古民家、天然記念物の蛙、温泉など、さまざまな村の宝物を提案。村民がそれらを昔ながらに楽しむ場をつくりそこに外の人も呼び込もうというように話し合いが進む。番組の終わり頃には村民がみんな笑顔になった。

富岡町から避難している私は、それを見て羨ましいと思う。何故なら、川内村は以前から農林業が中心で過疎化と高齢化が進んでいたが、それだけに自然も昔のままに維持され、古い物や習俗が残り、村民も昔の田舎の心を持っているからだ。川内村から出ていった人は多いが、新たに移住してきた人はいない。今いるのはほとんどが先祖から代々川内村に住んできた人たち。宝物はまだ残されておりそれに磨きをかけることが出来る。

これに対して富岡町、大熊町、双葉町、浪江町など原発周辺の町は、40年前に原発建設が始まり、それ以来原発とともに発展してきた町だ。建設時には多くの作業関係者が全国から集まり、その一部は地元の女性と結婚し住み着いた。その後も運転やメンテナンスのために電力会社やメーカーそれに工事会社の従業員がこの地域を訪れこの地に定住した。数年滞在する家族や独身者を目当てにたくさんのアパートが建てられた。地元の人々は出稼ぎに出ずに年中働ける職場を得た。

建設時には駅前の商店街は繁栄し、夜は飲食街が遅くまで賑わいを見せていた。だが、建設が終わる頃になると全国の地方都市に見られたように、大型スーパーが進出し、あっという間に商店街はシャッター化し、いまだに商店か住居かわからない状況のままである。国道沿いは自動車関連、パチンコ屋、コンビニ、外食産業が並び、どこにでもある地方都市の様相を見せ始め、昔の面影はまったくなくなった。地元の次男三男や外から流入した人は、新たに開発された分譲地に今日的な家を建て、都会のベッドタウンのような街並みが出現し、地域全体としては次第に人間関係が都会のように希薄になっていった。産業も農林水産業は比率を下げ、原発関係を中心として建設業やサービス業が存在感を示していた。

そのような状況では、復興計画について村おこし的なアプローチはもともと無理がある。川内村では半数といえ住民が戻っており、自然も人も昔の農村の姿が色濃く残っているのに対して、富岡町は原発があったために近代化し過ぎている。原発という基幹産業を失った富岡町など4町にとって、復興のモデルはかつての主力産業の衰退に直面した町、例えば炭鉱の夕張や製鉄所の釜石などに求めた方がよいだろう。除染に続く廃炉は数十年掛かるとみられ、原発に代わる企業誘致もされるだろうが、やはりこの地域はこれからも原発の廃炉で支えられるのではないかと考える人も多い。

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