日本エネルギー会議

  • 設立趣旨
  • お問合せ

情報開示の罠

地下鉄の出口から電力ビルの玄関まで一分もかからないがそれでも少し濡れてしまった。このところ、天気は三日ともたず晴れと雨を繰り返していた。そうしながらもだんだん暖かくなるのがこの季節である。

ベテラン記者の望月はそのまま玄関を入って正面の受付に行き、訪問相手の役員の名を告げた。若い受付嬢は役員室へ電話をしてから奥のエレベーターに乗って最上階まで行くように望月に言い、来客用IDカードを渡した。

エレベーターを降りると秘書課の女性が「お待ち申し上げておりました」と望月を笑顔で出迎えた。飾り気のない廊下は両側にドアが並んでいるが名札などは一切ないので、秘書が案内をしてくれなければ誰がどこの部屋であるかわからないようになっている。廊下の絨毯は厚く、足が沈み込んで少し歩きづらい。部屋に入るとそこは意外に狭い部屋で机と応接セットが置かれ、ガラスの扉の書棚とロッカーがあるだけ。机の上はきれいに片付いていた。

部屋の広さという点では、以前訪問した地方の知事室がワンフロアーの半分を使ったとんでもない広さで、ワイドな窓からは県庁所在地の街が見下ろせ,遠くには雪をかぶった連峰が望めた。もともと県庁がある場所が城のお堀の中で、これでは領主気分になるのも当然だと思ったものだ。それから比べれば殿様と呼ばれている電力会社の役員室は上場企業の中でもいちばん質素だろう。

相手の役員とは既に面識があったので、秘書がお茶を置いて出ていったのを機に、本題に入ることにした。
「早速ですが、ついこの間も福島第一原発で、建屋屋上の汚染水が雨樋を伝って排水路に入り外洋まで流失しているのを1年あまりも隠していました。県知事も漁業者も大変な反発をしています」

役員は表情を変えず、ちょっと間をおいて「四年目にしてようやく廃炉工事や汚染水の処理に一定の方向性が見えてきただけに、確かに今回の問題は痛いね。」と応じた。

「今日お聞きしたいのは、電力会社は何故繰り返し情報開示で問題を起こすかについてです。その都度痛い目にあっているはずですが、これだけ繰り返すのはよほどの理由があると思うのですが」

「理由ということか。これは情報開示しなくても、あるいは本社まで伝えなくてもなんとかなると判断するからだろう。多くの場合、報告基準があいまいなことと、開示した場合の影響を想像することで判断が保守的になる。」

「原子炉規制法などで規制当局への報告事項は定められているのではありませんか。」
「さすがに電力会社も法律で決められている報告について隠蔽することは少ないね。会社が処罰されることもあるし、内部告発などで発覚したときの衝撃もすごいからね。法令違反の場合、報告を遅らせるといっても限度がある。しかし、基準がはっきりしない場合、解釈でなんとかなると考えてしまう。しかし一方で日本独特だと思うが、基準値以下だからといって黙っていたと問題にされるケースも多い。一次系の水が配管のつなぎ目から滴下しても報告しなくてはならないかと悩む。今回の汚染水外洋流出問題でも、一昨年にタンクから相次いで漏れた汚染水に比べれば、今回の濃度は1万分の1以下だった。」

「東京電力も情報の出し方が技術的観点だった、優先順位を低く捉えていたと釈明しています。それにしても、起きた事実だけをとりあえず公表するということは出来ないのでしょうか。」

それに対して役員は笑いながらこう言った。「一番のプレッシャーはあなた方マスコミだ。会見で発表文を読んだとたんに、原因はなにか、危険度は、対策はと攻め立てられる。ある程度準備が出来ていなければ会見しても立ち往生してしまう。こういう事象が起きているだけでは、皆さんは勘弁してくれないでしょう。立ち往生すれば、それこそ当事者能力なしと書かれてしまう。」

「開示した場合の影響を慮ってということはわかるような気がしますが、具体的にはどんなことを想定するのでしょうか。」

「現場で問題が起きたときに、管理者がやることはやたらに多い。それをやっている間にあれこれと頭をよぎる。対処しながらも絶えず、なんとか開示しなくても済まないものかという思いを持つものだ。」

「原子力発電所や建設所の幹部であった経験から教えていただきたいのですが、第一報を受けた現場のトップは実際にどんなことを考え、どんなことを指示するのですか。」

役員は現場にいた頃のことをひとつづつ思い出しながら語り始めた。
「まず、それが事実かどうか確認するところから始まる。それから事態が拡大しつつあるのか、既に安定しているか。拡大する可能性があるのならすぐに手を打たなければならず報告どころではない。怪我人はいるのかいないのか、救出は行ったのか、放射能汚染や被ばくの程度はどうか、環境に対する影響はどうなのかを知らなくてはならない。しっかりした者をすぐに現場確認に行かせる。場合によっては自分も行ってみる。応急措置の状況把握や現場保存をどうするかも急ぐ。二次災害を起こさないようにも注意しなくてはならない。それから本社の管理部門に対する電話での一報だ。次に社内外に報告する際に必要な材料集めに取り掛かる。一報を入れた本社ではどのレベルまで報告を入れるかをその場で判断する。それからは現場に対してさらなる情報を要求してくるので現場は体制を整えて対応しないとならない。」

「平日の勤務時間中ならそうでしょうが、休日や夜間だとそのとおりにはいかないでしょうね。」と望月が話を遮った。
「代理者をおくとか、それなりの体制は取っているが、とりあえず幹部と所要メンバーが発電所に集まらないと、当直長以下の運転員だけでは現場の緊急処置以外どうにもならない。どんなに急いでも発電所の会議室に集まるのに30分程度はかかってしまう。自然災害で道路が損傷したり、大雪だったりすると大変だ。その場合は、町にある事務所にとりあえず集合することになるだろう。」

「それに対しては原子力災害訓練がさかんに行われていますが。」と望月が口を挟む。
「通報訓練、招集訓練、対策本部を立ち上げての訓練など、個別に行ったり総合的に行ったりしている。それと別に現場での応急措置訓練、救命訓練、消火訓練、溢水時の訓練、放射線防護訓練なども従来から行われてきた。福島第一原発の事故以来、一段と現実に即した訓練を要求されるようになって、回数も増えている。現場の負担は増え続けているので要員の見直しを本社に要求してきている。」

望月はメモをとりながら、「すみません、先ほどの続きをお願いします」と促した。役員は「吸ってもいいかね」と言いながら背広のポケットから煙草を取り出した。それに火をつけながら昔、先輩に「当直長は原子炉が自動的にスクラムしたら、まず煙草を一本吸うくらいでないと」と言われたことを思い出していた。電力会社は福島第一原発の事故以降、発電所長の資質について、いままで以上に気にしている。

「その現場の図面や写真、作業体制や作業内容、過去の事例、法令になんと書いてあるのか、報告しなければならない対象はどこか、原因のおおまかな推定、どんな対策が考えられるか、どのような影響が考えられるか、など事態のおおまかな把握が出来ると簡単なメモを作成し、本社の主管部門にファックスを入れる。現場の幹部を集め、問題の対応体制を決める。請負工事や委託作業の事故の場合、メーカーあるいは工事会社の責任者を呼び、彼らの本社と連絡を取らせる。他の作業をどの範囲までストップするか、事故があったことが、どの程度の速さで外部に伝わるか。火災などの場合はすぐに外部から消防に通報が行く可能性があるし、放射線がからめば県などのモニタリングに引っかかる可能性もある。」

さらに役員は、
「ここら辺りの判断が、後に問題を単なる事故ではなく、不祥事にしてしまう原因になる。福島第一原発の事故以前の原発の長期停止の理由を調べると事故トラブル、大地震、不祥事がおのおの3分の1の割合だ。大地震と不祥事がなければ、日本の原発は欧米並みの稼働率に近づく。同じ事故トラブルでもその時の周囲の状況や内部の都合で、発表するかどうかの判断が変わってくるのでやっかいだ。」と付け加えた。

望月は話が核心に迫ってきた感じがして「その状況というのは例えばどんなものですか」と興味深げに質問した。
「それは事故やミスを起こした時、たまたま他の重要案件が注目を浴びており、もしも発表すれば、その重要案件に大きな影響を与えて会社に大損害を与えてしまうことが予見できる場合だ。こんな時には人間の心理として情報開示を見送ることを選択しがちだ。現場だけでなく、本社も巻き込んで判断すればまだ良いんだが、現場の独断でやってしまうことも考えられる。」
 
今度は望月が話を引き取って、「福島第一原発の場合で言えば、当時、東京電力はプルサーマル計画についてようやく地元福島県の了解が取れて実行に移れる状況だった。ここで貞観津波の話が出てくれば、第一原発はいままで想定してきた津波の高さでは耐えられないということになる。そうすると、せっかくのプルサーマル計画が頓挫しかねない。六ケ所村の再処理工場の試験がうまくいかないため、なんとしてもプルサーマル計画に目処をつける必要があったと認識しています。今回の汚染水外洋流出問題も、サブドレンの汚染水の浄化後の放流について渋っていた県漁連がようやく了解してくれそうな状況下で起きたと思ってよいのでしょうか。」

「それはわからないが、関係者の頭にはそのことはずっとあったと想像出来る排水路で高い数値が計測されて以降、この一年間だんだん追い詰められて重苦しい気分になっていたと思うよ。」と真顔で答えた。

「判断を迷わす原因として、他にどんな場合があるのですか」
「増設計画に地元が同意しそうな時、定期検査がやっと計画通り終了しそうな段階にある時などがそれに当たる。」

「なるほどわかります。自分たちのせいで仲間や会社に迷惑をかけたくない。」
「重大な問題を起こして役所や自治体からひどく叱らた直後に再び事故など起こした場合も辛い。今回報告することで過去に同じように開示していなかったことがバレそうな場合も躊躇するだろう。」

秘書が茶碗を片付け、コーヒーを運んできた。
「事故や環境に影響を与えることなど、どこの工場でもありうることですが、原発だから問題になるということがあるのでしょうか。」
「原子力と言えば放射線や放射能だが、世間では、それが目に見えないのが問題と思われているが、実はどんな微量なものでも測定出来てしまうことが問題なのだ。法令で基準は示されているのだが、それ以下であっても漏れた、漏らしたということになれば、大きく取り上げられる。当事者としてはこの程度ならと考えがちだ。今回の福島第一原発の汚染雨水流出でも、廃炉。汚染水対策最高責任者の増田氏が、地元の関心が高い情報に思いが至らず大変申し訳ないと謝罪している。」

「謝罪と言えば、柏崎刈羽原発で2003年に見つかった海底活断層を2007年まで黙っていた件で広報部長が、意図的に隠していたのではない。ご説明の機会がなかった。きちっと説明すべきだった。申し訳ない。わかった時点で公表していくよう、情報公開、透明性の担保といった観点からすれば当然やらないといけない。今後、発表はしっかりとやっていくと謝罪していました。」

役員は知らなかったとみえ、「そんなことがあったんだね。」と言いながら、以前なにかの機会に見た他社の新入社教育用のビデオのことを思い出していた。それは原発不祥事のさきがけともいえる1981年の放射能漏れの反省から作られたものだが、その中で当時の所長は『我々にとって大したことではないと思うことでも、住民の方々にとっては大変心配なことなのです。そういうことを皆さんは理解する必要があります』と述べていた。だから電力業界は情報開示に関して30年かかっても、あまり進歩していないことになるなと心の中で苦笑していた。このあたりは実際に経験してみないとわからないし、世代交代すると伝わらなくなる。これはなかなか難しい問題だ。

「東京電力は2年前、トラブル発生時の素早い情報発信のためとして、社長直属のソーシャル・コミュニケーション室を作りましたが、今回の測定データはそこには報告されていませんでした。今後はソーシャル・コミュニケーション室を含めた社内でデータ共有を進めると言っています。やはり社内でも大勢の人の意見を聞いて情報公開するかを決めないといけないようです。」

「今は少なくなったが、以前には技術系でどんどん決めて、騒ぎになったことに事務系の人がようやく知るということがあった。知らないと外部対応の第一歩でつまづくことになる。その問題が社会的にどのような影響を与えるかは、普段から地元の人などと接触している事務系の人の方が的確に判断出来るだろう。もっとも技術系の社員を地元の各戸訪問をやらせたりしているのはそういう意味があるのだが…」

「確かにどこまで開示するかは難しいですね。その時の状況にもよりますし。」
「不祥事の後は、なんでも開示、報告ということになると、今度は受け手の方が面倒になって必要なものだけセレクトしてくれと言うようになる。だが、それを勝手だと非難するわけにもいかない。役所もそのあたりを仕切ってくれはしないし、メディアと一緒に電力会社を叩く側になる。ついついボヤキになってしまうが、完全なる第三者によるジャッジがあると助かるかもしれないね。」

一時間後、望月は役員と秘書に見送られてエレベーターに乗り、一階の玄関まで来ると、歩道は濡れていたが雨はすでにあがっていた。横断歩道の信号機が赤から青に変わった。望月はそれを見て、機械というのはすごく単純で、それで信号機のことをゴーストップというのかもしれない。情報開示についてそんな信号機があれば、電力会社の現場の苦労もなくなるが、そんなことは百年経っても出来ないだろうと思いを巡らせた。

  • データベース室
  • エネルギーとは?
  • 世界と日本のエネルギー
  • 原子力の論点
  • 放射線と健康
Facebook Twitter