日本エネルギー会議

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教育にも使える行動記録

福島第一原発の事故現場で恐怖と戦いながら危機的状況を乗り切った福島原発所員の行動記録がある。「福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所における対応状況について(平成24 年6 月版)」というタイトルが付いた153ページの資料だ。それは原発事故を防ぐための、また適切な対応を考えるうえの貴重な資料でもある。読んでいくと、東日本大震災に遭遇し福島原発の各号機が津波により電源を失い原子炉がメルトダウンに向かった際、現場の運転員たちが何に対して、どのような困難の中、どのように事故拡大のために対応したかが端的に伝わってくる。誰に頼まれたわけでもないが、私はそれを読みながら事前の準備が不足していた点を洗い出し、今後他の原発の設備やマニュアルに反映する事項を書き出す作業をしている。それらの一部はすでにエッセイにしてご覧頂いている。

私がこの東電社員の記録が貴重だと思う理由は、世界の原発の関係者にとってまず経験することがないような大災害と大事故に関するまぎれもない実録であるからであり、「事実は小説より奇なり」の如く、原発の大事故について仮定や想定で書かせたとすれば、あれほどまでの深刻な事態を考えはしないからだ。  

会社の商品・サービスの問題点を知るため、新入社員に聞くという方法を取る場合がある。これは新入社員が、つい先日まで知識のない一般の人々であって消費者に一番近い感覚をもっていると思われるからである。入社後日数が経つほど、内部事情を知って想定にブレーキがかかり、不都合な事実を矮小化してしまい、どうしても思い切った意見が言えなくなる。

社内で大事故の想定をしようとすると、対策などをどうするかを考えてしまうことから、想定を対応可能な範囲に留めようとする力が自然に働く。行動記録はそのような配慮の入り込む余地がまったくない。ある意味もっとも現実に近いものだ。もちろん、福島第一原発の事故は平日の勤務時間中に起き、所長も所長室にいて、定期検査のために現場には事故対応に当たることのできる大勢の作業者もいたという最も恵まれた環境で起きたことは認識しておかねばならない。でなければさらに深刻な事態が浮かび上がってくる。

政府の原発事故調の委員長だった畑村洋太郎氏は委員長所感で「見たくないものは見えない、みたいものだけが見える」。「あり得ることは起こる、あり得ないことも起こる」。「危険の存在を認め、危険に正対して議論できる文化をつくる」と語っているが、今後の事故に備えて対策を考えるとき、関係者は「見たくないものは見えない、みたいものだけが見える」のだから事故の想定は必ず矮小化されると考えるべきだ。したがって二番目三番目の「あり得ることは起こる、あり得ないことも起こる」。「危険の存在を認め、危険に正対して議論できる文化をつくる」から事故想定をしていくことが必要だ。その意味から福島原発所員の行動記録は、「あり得ないことも起こる」は除くとしても「あり得ること」と「危険の存在」を具体的に示した資料と言えよう。

私は原電時代、社員の能力開発(一般企業では教育研修)を担当したが、その経験から言えば、記録から教訓を抽出する作業は新入社員をはじめ若い社員の教育訓練として優れている。マニュアルを勉強して覚えさせるより、マニュアルを隠しておいてマニュアルを自分たちで作らせることの方が有効だ。その意味で、建設末期にマニュアルを作成し、それを使って試運転を経験した運転員は最強の運転員だと言われていた。抽出された教訓に対策を考えるのは、若い人には無理で、現場を熟知したベテラン社員にやらせるとよい。彼らは現在の事故に対する備えでどこまで対応出来るか適正な判断が出来るからだ。その結果を若い社員にフィードバックしてやることで、何が可能か可能でないかを理解させることも出来る。

事実だからこそ福島原発所員の記録は信じられる、そしてそこからの教訓を学びとり、次世代に伝えなければならない。そうしたことを福島第一原発の事故後に関係者は地道にやっているのだろうか。そうでないのなら事故の被害者や迷惑をかけた人々に対して、また将来世代に対する裏切りであり責任逃れである。この貴重な記録を残してくれた人々に報いるためにも、この記録が次世代の教育に使われることを切に望む。

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