日本エネルギー会議

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何故ここなのか

先月中頃、経済産業省の作業部会がいわゆる核のごみの処分に関する基本方針の改定案を決めた。この中では処分場受け入れが少しでも進むよう、将来の回収可能性も書き込んでいる。地元合意の形成に向けた対話の場の必要性も盛り込んだがいまさらの感がある。

作業部会の増田委員長は記者に「国は最終処分場の必要性について、国民の前に出てまだ議論していない。そうした基本から始めるべきだ」と語ったが、これは我が国が原発第1号機建設に先駆けて行うべきものだったはずで、歴代政権と電力会社が楽観的な見通しのもとに原発導入を優先してきたこと、その後は原発を増設する一方で困難な問題ほど先送りをするという無責任を続けてきたためであり、財政赤字、領土、基地などの問題と同根だ。

いままで反対派やメディアからさかんに「トイレなきマンション」と揶揄されたが、国や電力会社は技術的な成果や可能性を説明するばかりで、国民合意という極めて難しい社会的問題についての検討や説明をおろそかにしてきた。さらには原子力発電環境整備機構が処分場の選定を進めていたが、福島第一原発の事故が起きるまで10年以上、成果らしい成果も出ないままに組織を温存してきた。これも一種の先送りである。

今回も科学的有望地を複数指定するとしているが、はたして科学的有望地の選定基準について、科学者の説明に対して指定された場所の住民が「何故ここなのか」と反論し納得するとは思えない。複数指定ということになれば、比較の問題が出る。科学的検討にあたってどの項目にどの程度のウェイトを置くかによって結論は左右されてしまう。このことは福島第一原発の事故の影響で福島県以外の各地で汚染土壌などをどこに処分するかについて地元と紛糾している状況を見れば明らかだ。

福島県の大熊町と双葉町が中間貯蔵施設建設を受け入れたが、それはそこが高汚染された土地であり、また施設がなければ福島県全体の復興が進まないという中での苦渋の決断だった。韓国の中低レベルの処分場は宗教者が「次世代に現世代の負の遺産を押し付けるべきではない」と主導して合意された。国が補償や交付金など金の力で押し通すことは考えていないにしても、処分場の目処をつけるためには、科学的基準だけでなく社会的基準と住民が苦渋の決断が出来るための理念のようなものがなくてはならないのではないか。

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