日本エネルギー会議

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巨大組織は何故大事故を起こすのか(15)

限界がある外部監視役の機能 

巨大組織である電力会社の運営する原発に対し、外部からの監視役として法律で位置づけられているものに原子力規制委員会と原子力規制庁がある。次いで立地している地元自治体、業界内の自主的規制を行う団体も本来、原発の監視を役割としている。このほかに、株主、保険会社、国際機関、学会、メディア、反対派も外部の監視役とみなすことが出来る。これら外部の監視役が福島第一原発の事故のような大事故の防止に役立つかどうかは、いまだに次のような理由で心もとないものだ。

(1)規制当局
規制当局こそ巨大組織が起こす大事故を防止する本命中の本命だ。罰則付きの法律、規則、基準、通達など巨大組織の暴走を止める手立てを持っている。だが、従来は原子力発電を推進する「資源エネルギー庁」と規制する「原子力安全・保安院」が同じ経済産業省の中にあり、省内の異動によって推進と規制を往復する人事交流が行われ、OBが規制対象である電力会社に天下りするなど規制当局としての体をなしていなかった。電力会社は、地域独占を逆手に取り、停電や原子力政策の蹉跌の可能性をちらつかせながら規制当局に対して、自分たちの都合に合わせるよう迫ってきた。

こうした状況は福島第一原発の事故後に改められたことになっている。原子力安全委員会が独立性を持つ三条委員会として原子力規制委員会となり、過去に原子力産業に関係の深かった人は委員に任命されなくなった。委員会の事務局として、新たに環境省に原子炉施設等の規制・監視を専門とする原子力規制庁を外局として置いた。職員は経済産業省などとの人事交流を断たれ、不足を埋めるため、原子力規制庁に独立行政法人原子力安全基盤機構を統合した。

新体制により過酷事故など大事故を防ぐ機能は強化されたことは事実だが、現状では職員の新規採用、養成制度・計画・施設などはまだ不十分で、原発の現場の状況に通じた人材が確保されたとは言い難い。これでは、的を得た審査や検査が出来るかが不透明だ。新基準適合審査には十分な時間をかけていても、いったん合格すれば、その後の審査、検査が形式的なものとなるおそれはある。

新たなに規制基準が設けられたが、その基準について政府が「世界一厳しい基準」としているが、かならずしもその評価は高くない。最大の問題は世界レベルの最新情報を取り入れて、基準を絶えず見直すことがうまくいくのか、基準にないもの、あっても項目だけで中身がないものについての対応をどうするかだ。例えば地震や津波以外の自然災害、テロ攻撃などへの防御のための基準づくりにはまだ多くの時間を要する。法に基づく強制力が行使されるのはきまって大事故の後だ。今後、規制当局の独立姿勢は貫くとしても、全原発を停止して改修しなければならないような事態になれば、電力供給に支障をきたすことを恐れて、政府や電力会社が圧力をかけないだろうか。政治家と電力会社が再び規制の緩和を策してくる可能性もなくはない。そうなれば、再び巨大組織が大事故を起こすリスクは高まることになる。

(2)地元自治体
原発のある自治体は電力会社との間に安全協定を締結している。県など自治体には原子力安全対策課などがあり担当の職員が主に安全協定に基づく電力会社との対応をしている。議会には原子力特別委員会や専門家をメンバーにした委員会などがあり必要に応じて開催されている。安全協定は法的拘束力がないものの、自治体の賛成なしにはいまや原発の運営は立ち行かないことを電力会社はわきまえている。

自治体に原発の大事故を未然に防ぐ力があるかを考えると、対象となるのが原発の新増設、改造工事、事故トラブルに限定されていること、自治体職員は電力会社に対抗出来るような技術的能力を持っていないこと、情報が国や電力会社頼みであること、原発の停止が地元への交付金や地元経済に対するマイナスの影響があること、地元住民に不安を与えたくないことを考えると、自治体が国や電力会社に大事故の防止について具体的な申し入れをする可能性は低い。茨城県が日本原子力発電に対して東海第二原発の津波対策の強化を申し入れたのはむしろ例外だと考えたほうがよい。

(3)業界内の自主的規制を行う団体
原子力業界内には大事故を防止することを目的とした団体が作られている。電力中央研究所、海外電力調査会、原子力安全推進協会(以前の日本原子力技術協会)などのことだ。残念なことにそれらの団体は主に電力会社や原子炉メーカーがスポンサーであり、役員クラスをトップに送り込み、社員を職員として派遣しているため、団体が電力会社などに対して厳しい指摘をしたり、改善勧告を強く勧めたりしない傾向がある。報告をする場合も、スポンサーの権威を傷つけたり反対派を勢いづかせたりすることのないよう、内容も表現も電力会社と事前に調整がされる。海外調査報告も電力会社はそれを聞くにとどめ、どのように活かすかは電力会社次第だ。

日本原子力技術協会が原子力安全推進協会となってから、現地監査の評価結果について電力会社の社長を呼んで意見することにしたが、裏を返せばそれまでは、そのようなことは行われていなかったということだ。

福島第一原発の事故の数年前には、日本原子力産業会議が日本原子力産業協会として改組されたが、それは従来の産業会議が「国民的立場」から電力会社などに耳の痛いこともあえて発信するという姿勢であったことを改め、普通の業界団体のようにスポンサーの意思に全面的に従う団体になることを意味するものだった。このあたりの事情は藤原章生著「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」゛最後の弟子、森一久の被ばくと原子力人生゛(講談社)に詳しく書いてある。

せっかくの団体に、単なる業界団体の役割をさせることは、原発の安全確保や国民の理解促進のためにはマイナスであるが、往々にしてこのようなことが起きてしまう。巨額の費用と貴重な人材を割いて何のために自主規制するのか。そのことを本当に理解しなくては、我が国の文化ともなってしまった「形式主義」とのそしりは免れないだろう。

(4)株主
巨大組織の大株主は概ね金融機関などの機関投資家であり、長期的で安定した配当を求めている。目下、電力会社は機関投資家の大きな議決権によって脱原発を主張する一般株主の提案をすべて否決している。機関投資家にとっては巨大組織の安定性、永続性が魅力であり、大事故による突然の経営危機や無配陥落は一番避けたいことである。とはいえ、株主は事業報告などによって状況を把握することしか出来ず、大事故を起こしてからの経営陣や事業計画の刷新しか手段がない。

(5)保険会社
保険会社は巨大組織の株主であるとともに、巨大組織からの保険料収入を得ている。原発に関しては規模の大きさから、大手損保会社で原子力損害保険プールを組んで対応しており、その保険料収入は毎年莫大なものとなっている。巨大組織が大事故を起こすことにより保険会社は大きな損失が発生するが、事故後に保険料率を上げるか、条件が合わずにプールより撤退するしかない。保険会社はあらかじめ具体的なリスクを評価し実績を分析して保険料率を個別に提示するのが本来の姿であるが、残念なことに原発の場合料率は一律であり科学的合理的なリスク評価をしているとは思えない。

(6)国際機関
国際機関とはIAEA(国際原子力機関)やWANO(世界原子力発電事業者協会)などを指すが、IAEAは福島の事故前から、加盟国に対し原発の安全性を評価する際、機器の故障などが大事故に至るすべての可能性を把握する確率論的安全評価(PSA)の適用を勧告。2007年の専門家による訪日調査では「日本には設計基準を超える事故について検討する法的規制がない」と指摘し、過酷事故に十分備えるよう求めていた。

このことでもわかるように、国際機関が加盟国に対して勧告し査察をしても、その勧告や指摘に強制力はない。国際機関に加盟していることが単なる形式になっている状況について学会、ジャーナリズムも含め、各監視役が声を上げることがなかったのも我が国の大きな問題である。

(7)学会
巨大組織は多くの学会との関係がある。原発の場合を見ても、「原子力学会」「保健物理学会」「土木学会」「機械学会」「電気学会」「保全学会」など数多くの学会が関係している。巨大組織の研究所、電力会社、原子炉メーカー、ゼネコンには各学会の会員が数多く働いている。彼らはいわば二重国籍であり、学会活動中も現役あるいはOBとして所属する、あるいは所属していた組織を背負っている。それゆえ、巨大組織が大事故を起こす可能性の考察を純粋に科学的に議論し、それをそのまま公に出来る状況ではない。例えば先日、日本学術会議が出した「暫定保管の計画を策定しないままの原発再稼働を将来世代に対する責任倫理を欠く。電力会社には再稼働の前に、各供給エリアに最低1カ所の乾式貯蔵施設を設置するなど、廃棄物対策を具体化させるべき」との提案に個人的には賛同しても、学会員としてそれを公にすることは所属の組織の意向もあり躊躇するだろう。
  
(10)メディア
メディアは社会の木鐸と呼ばれているが、巨大組織が大事故を起こさないための監視役となっているとは言い難い。実際問題として、反原発や脱原発の
主張を繰り広げたメディアで福島第一原発の事故を予見したものはほとんどいない。過酷事故対策に関するIAEAの勧告があったことは報道されたが、
国と電力会社がそれに直ちに対応しようとせずにいたことをメディアは指摘出来なかった。

産総研の大津波警告に対する東京電力の対応引き伸ばし工作についても同じだ。メディアが電力会社に懐柔されていたことはないにしても、ある意味、自治体などと同じように「原発の安全神話」をどこか信じていたふしがある。従来、メディアは内部告発をきっかけに、違法な工事や被ばく管理の杜撰さ
などを報道したことはあったが、原発のリスクに具体的に踏み込んだものは少なかった。原発の危険性について読者を納得させる根拠を科学的事実以外に依存してきたメディアもある。著名人や人気者が感覚的に言ったことがイコール正しいことであるはずがない。問題は中身だ。専門家の意見を紹介する場合も、よくて両論併記だ。あとは読者がお考え下さいというには材料が少なすぎるし、メディアが取った裏付けくらいは示さなければ役割は果たしたとは言えない。

次々と起きる事件やトピックスを日々追い続けることがメディアの宿命であり、巨大組織が大事故を起こすリスクについてじっくりと掘り下げた取材と分析をして世に問うことはやろうとしてもなかなか出来ないことなのかもしれない。

(11)反対派
巨大組織が大事故を起こすことを最も警戒しているのが反対派であることは間違いないが、その意欲はほとんど空回りしている。内部告発者でさえ距離を置きたくなるのが、反対派のあまりにも観念的な体質だ。「嫌なものは嫌」という感情的、情緒的な原発反対の主張は科学技術の元になっている客観性、合理性とは相容れない。

短兵急な脱原発の要求は、社会変革に生きがいを求めたい人々には受けるが、同時に一般の人々を一歩退かせてしまう。彼らの主張は自分たちに有利な証拠のみを集め、手前勝手な理屈をもって結論ありきで考えたものが多い。推進派にも似たようなところがあるが、反対派の方がより徹底している。こうしたやり方では反対派が推進派と互いに切磋琢磨する機会を作ることもなく、ともに成長することが出来ない。反対派がこうしたことを続けていては多くの国民を白けさせるばかりで、反対派が大事故を防止する役割を果たすのは難しい。

福島第一原発事故後、規制当局、自主規制団体、学会、自治体などに監視役としての役割を果たそうとする動きが見える。だが、巨大組織に対する監視役は組織内部と組織外部ともに、規制当局を除いては巨大組織の圧倒的な力に対抗するにはあまりにも弱小である。それは人数、専門性、情報量、権限、立場、継続性など全てに言えることだ。それゆえ、監視役への期待はしつつも、巨大組織が大事故を起こす可能性は今後も少なからずあると考えなくてはならない。
 
次回は巨大組織の私物化がどのように組織を硬直化させて大事故回避の障害になったかなどについて。 
(つづく)

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