日本エネルギー会議

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巨大組織は何故大事故を起こすのか(30)

本シリーズも最終回となった。そもそも本シリーズを書こうと思った動機は、福島第一原発の事故に係る国会事故調査委員会の報告書が出た後、海外メディアが「事故を日本文化のせいにするべきではない」と批判したことにある。日本文化という捉えどころのないものを原因としては対策につながらないという批判は当たっているが、では我々としてはどのようなところに原因を求めたらよいのかを考える必要がある。

過酷事故対策を不十分なままにし、規制当局を説得してまで大津波襲来の警告を軽視したのは、東京電力という巨大組織であり、さらに言えば経営陣の判断である。私は当時の業界内部の状況をもとに、巨大組織が対策を先送りするという判断に向かった理由を推測した上で、さまざまな要因で東京電力を代表とする原子力業界がそのような判断をする組織になって行ったメカニズムの解明を試みた。それが出来れば、日本文化という漠然としたことではなく、もっと具体的に巨大組織が大事故を防ぐための実質的で効果的な対策を提案することにつながると考えたからである。

巨大組織が安全を脅かすことに気づかなかった、あるいは気づいたが手をこまねいて直そうとしなかったことは重大である。
本シリーズで指摘した主な問題点は、

・巨大組織の中にいると、個々人や各部門ではその全体像を把握し難い。また、原発の国策民営のように、巨大組織が置かれた環境や立場により組織のあり方が影響される。 

・組織は関連する共同組織が増殖することによりさらに大きくなり、影響範囲を広げるとともに、逆に共同組織を維持するために行動に制約を受ける。
・大人数を抱える組織では経営トップに現状維持に大きな期待がかかり、組織ではトップの選出、物事の決まり方は特異なものがある。
・組織の内外にある監視役への期待には限界がある。
・人が作った組織が大きくなると、逆に組織内の人をコントロールするようになる。巨大化した組織はその性質を変え、組織の目的が本来のものから外れていく傾向がある。
・国民のためのエネルギーを安全に、長期間、安定的に確保し、安価に提供するという崇高な目的を達成しようと作られた巨大組織は、巨大化するにしたがってその組織を構成する人々やその影響を受ける周囲の存続と繁栄といういわば手段の充実と維持を求めるようになる。こうなってしまうと、大組織の問題点を内部から治すことは難しく、外部の声も封じることが出来るほど巨大組織の力は強くなり、判断を誤り大事故を起こす恐れが出てくる。

原子力開発の枠組みにおいて、国策民営、電力供給の地域独占、電気料金における総括原価方式を採用した時点で、上に述べたことをしっかり認識していなかったこと、その後それを放置し続けたことは、政党や政府や国民の大きな失敗であった。事業を任された電力会社は、株主、社員、消費者、地域住民といったステークホールダーを公平に扱わず、組織内部の安定を優先し、そのうえ情報公開が不十分だった。推進の立場の官庁が、時には待ったをかけなくてはいけない規制当局もコントロールしていたことに国民や地域住民がもっと疑問を感じるべきだった。地域においてもメリットが特定の人々の利権と化し彼らが民意を代表するかの如き政治力を発揮したが、そんなこととは都会の消費者は少しも知らなかった。国民も消費者も、今回の大事故を契機に巨大組織というものの怖さを知るべきである。
  
本シリーズで示した提言を実現するには大きな障害がある。法律を改正し、組織を変更し、運用に係る規定を作り直し、人材を育成しなければならない。骨抜きにならないよう、義務と責任と罰則をきちんとする必要があるが、そのあたりは官僚や企業の幹部が、巧みに擦りぬける知恵を出して大いに抵抗することは覚悟する必要がある。

入学試験を受ける受験生が、自分の都合で辞書持ち込みを認めるように規則を変えたり、やり終えないからといって試験時間を勝手に延長したりすることは許されない。しかし、実社会においてはしばしば巨大組織が経済力や政治力を背景に、自らの行動を規制する法律や規則、そして都合のよいように運用解釈をしてもらうことが行われる。骨抜きは官僚だけではなく、規制される側も虎視眈々と狙っていることなのだ。彼らは民意さえ作り出し、メディアにそのことを伝えさせることが出来る。

「詰め切らないでおくところが日本文化」、「白黒をつけることは、和を大切にする日本文化と相反する」と言われてきたがそれは間違いであり、都合のよい解釈だ。とことん追求はせずというのは、真実の追求から生まれた科学技術の持っているセオリーと相容れないものであり、これが今回の大事故の根っこのところにあると考えられる。

人々が心のなかで望むと望まないと関係なく、事象は自然の法則により起きるのであり、待ってはくれない。ましていかに大企業であっても一電力会社の都合などで待ってくれない。津波は意図して茨城県の東海村には低く、福島県の大熊町や宮城県の女川町には高く打ち寄せたのではなく、震源の場所と海底の地形により、そうなったのである。大地震は東京電力が福島原発において、地元がプルサーマルの実施をようやく了解する段階になっていたことなど関係なしに2011年3月11日の午後2時46分に起きたのだ。 

判断を誤った理由を「安全意識の欠如」や「安全神話に浸っていた」で片付けるのは安易すぎ、正しく理由を説明したことにはならない。だが、時の経過とともに、それらの理由が一般的に認知されるようになり、その曖昧な理由に対する曖昧な対策が取られて幕が引かれようとしている。この国でいままで何度も繰り返されてきたやり方である。またそれをやろうとしている。これが事故の風化でなくて何であろうか。

事故後5年が経過し、再稼働する原発の数も徐々に増えてきたが、本シリーズで提起した問題については、対策どころか原因分析もまだ組織的に行われていない。すなわち、国会事故調査委員会の報告に対する対応は、現在までほとんど放置されてきたということであり、これこそが「日本の文化」であるのなら、日本人にとってこれほど情けないことはないのではないか。 
(おわり)

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