日本エネルギー会議

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事故後5年で見えてきたもの(6)

人は失敗をすることで成長する。

福島第一原発の事故は原子力開発の上での大きな失敗であり、事故そのものの他、事故の収束、被害状況の把握、住民の避難、地域の除染、住民の健康管理、風評被害対策、賠償などについても、それらが適切に行われたかを評価することで、失敗を次に活かすことが出来る。そう考えると次のような具体的な質問に対して実態がどうなのかを調べる必要がある。
(1)
大津波で全電源喪失状態した以降に、事業者や国などの行動に不十分な点はなかったか。これは現場だけでなく、本社や国の機関に対しても問われるもので、さらにそれらの間のコミュニケーションについても問わねばならない。
(2)
事故後の原発や周辺の被害状況の把握は十分に行われたのか。これについて
も現場だけでなく、本社、国の機関、およびメディアも問われるものだ。さらにその結果をどこまで関係者や地元の住民に必要な情報として伝えたのか。
(3)
建屋内に残された使用済燃料や新たに発生した汚染水の問題について、その取り扱いや危険防止、汚染水については発生抑制や漏洩防止が事業者によって適切に行われたかが問われなければならない。
(4)
住民の避難について国、県、市町村はどこまで適切な指示を出せたのか。どれほど避難に際しての支援を適切に行えたのか。そして住民はどれだけ適切な行動を取れたのかを問わねばならない。
(5)
地域の立ち入り制限や管理のための地域区分は適切に行われたのかについて、国に問わねばならない。そしてその後、適切な時期に適切な見直しが行われたか、その解除は時期を得たものだったかについてでもある。
(6)
除染については、その基準、範囲、方法、費用負担が客観的に見て、費用対効果の点でも適切であったか、住民にとって納得がいき公平なものであったのかが問われなくてはならない。また、中間貯蔵施設を福島第一原発周辺に設定し、30年後に最終処分場に運び出すことにした放射性廃棄物の処分計画は現実的なものであったかも問われなくてはならない。
(7)
住民の健康管理について、国や県などの自治体は素早く調査を開始し、有効なデータを集めることが出来たのか、その後の検診などについても住民の十分な協力が得られるものであったのか、その結果が住民にしっかり伝えられ住民の安心につなげられたかが問われている。
(8)
予想された国内外での風評被害について、これらが広がらないうちに国内外に適切な手を打てたのか、風評について間違いを糺すためにどのように有効な対策が出来たのかを国や県に問わねばならない。
(9)
避難に伴う賠償について、タイムリーにかつ適正な期間を対象とし、妥当な金額で公平感のある賠償が行われ、その費用についても負担する側が納得のいくものであったのかが問われなくてはならない。
(10)
国民の過半数が脱原発を望む中、また、政府も今後は原発に出来るだけ依存しないとしながらも、2030年の電源構成において再稼働、40年を超える運転期間、さらには新増設を前提としなくてはならない原発20~22パーセントを政府主導で決めたことが適切であったかが問わなくてはならない。

これらの項目について、国や事業者は最初に決めた方向性、方針、計画を進めるにあたり、小さな修正を積み重ねて隘路を行くのではなく、一度立ち止まって過去にやってきたことを評価するのが、事故から5年経過した時点でやるべきことではないか。メディアにおいても、そうした論調はまだ少ないように思える。

日本社会においては、罪人を出さないよう、互いに傷つけないよう気を遣う、責任を取ろうとせず逃げ回る、告白はせずじっと時が経つのを待つ、場合によっては墓場まで持っていく、よかったのか悪かったのか評価を避ける、金がかかるが黙って出す、金で済むものはそうする、費用は広く薄く負担させることで痛みが感じないようにする。事故原因を深く追求していくと日本社会そのものに突き当たるが、事故の後に行われていることもまさに日本的である。

近代国家は民主主義、資本主義あるいは社会主義、法治主義、合理主義、科学技術を基盤として成立しているが、我が国においては日本主義がその上にあって幅を効かせ続けてきた。国民の多くが暗黙の了解をしているからそれが成立しているのだろうが、外国から見れば、何とも異様な集団に見えるかもしれない。血税が惜しげもなく投入され、電気料金が上がっても国民からあるいは消費者から特別な不満は出ない。原発事故の被害者は温かい目で見られている。

かつて私が所属する団体で、職員に原発立地に対する交付金などの問題点を説明した際に、若手職員から「たとえ問題があっても、関係者の皆がハッピーであればそれでよいのではないか」という意見をもらって驚いたことがあった。日本社会が「皆がハッピーであればよい」というテーゼを持つのも良いかもしれない。しかし、それでは「失敗に学ぶ、失敗を経験することにより成長する」という社会変革が極めてゆっくりとしたスピードでしか進まず、改革は絶えず骨抜きになり、そのうちに国民が再び大きな痛手を受けることになりはしないかということが心配である。 

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