日本エネルギー会議

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千年に一度の災害にどう向き合うか(4)

前回は福島第一原発の事故を踏まえて、「千年に一度の災害にどう向き合うか」について国や東京電力が真剣に検討した形跡がないと述べたが、そもそも原発を基幹エネルギーとするのであれば、たとえ大事故の確率は小さくとも万一の災害時には被害もとてつもなく大きくなるとの認識がなくてはならなかったはずだ。「千年に一度の災害にどう向き合うか」の基本方針によって検討を進める際には、さまざまな要因に影響されずに純粋に考える必要がある。

そこで一番危険なのは、「原子力こそ人類の将来を救うものであり、原発の開発はどのような困難があっても、あるいは反対の声があっても達成すべきことである」という考えである。信念を持ってある目的に邁進することは、事を成し遂げるには必要なことだが、その信念が純粋な思考の鏡を曇らせてしまう場合がある。そのひとつが「手段が目的となる」ことだ。人類の幸福という目的を達成するための手段としての原発。それをやらねばならないとの想いが強すぎると、「人類の幸福」にとってかわって「原発推進」が目的となってしまう。これは再生可能エネルギーについても当てはまることを言っておきたい。

自らが原発にかかわるということは、原発をつくりたいからなのであり、それを否定されることは自分を否定されることにつながってしまうと思い、そこで思考停止が起きて視野がぐっと狭くなる。原発を作らないという選択肢はもちろんないし、事故が起きては困るという気持ちになる。その結果、ジレンマに陥り「確率が十分に低ければ、心配をしなくてもよい」という誤った結論で割り切ろうとするが、それはやってはいけないことだ。原子力に拘泥し視野が狭くなると、起きることを前提に対策を考えるという思考が出来なくなってしまうからだ。

残念なことに、現実はより次元の低い共同体の維持存続といったエゴイスティックな目的によって思考の鏡が曇る場合があり、その結果はさらに悲劇的である。太平洋戦争開戦にあたっての軍部の天皇に対する説明は石油生産や備蓄に関する数字の改ざんであり、事実の隠蔽であった。このことは「石油で読み解く『完敗の太平洋戦争』」 (岩間 敏著 朝日新書 57)」に書かれている。神風という期待、緒戦で勝って講和という虫のよい考え。勝てるか勝てないかでなく勝たねばならないなどといったロジック否定。本当は自分たちの立場を擁護するために押し切ったことが、全国民に塗炭の苦しみを与え、最後は連合国に全面降伏となる。

この話は福島第一原発の事故原因や背景を思い起こさせる。国や東京電力の説明の相手は自治体の首長であり住民であった。ちなみに天皇陛下が皇太子時代に茨城県の東海原発(日本初の商業炉)を訪問された以外は、天皇陛下が原子力施設に行かれたということは聞いたことがない。

信念に基づく場合も、エゴイスティックな目的の場合も手段と目的の取り違えがあるが、それを抑止するのが情報開示だ。日本には戦争遂行出来るための石油備蓄がほとんどないということを天皇や全国民が知っていたら、軍も暴走して開戦に踏み切りにくかったはずだ。当時は、石油の生産や備蓄に関するデータは国家機密となっていた。そう考えると今の特定秘密保護法も危うい面を持っている。

福島第一原発の場合も大事故の発生確率や万一大事故が起きた場合の被害が正しく情報公開されていれば、そのことで国や東京電力は千年に一度の大きな自然災害に対し、より慎重な姿勢を取らざるを得なかったのではないか。さらにその時にメディアが「千年に一度の災害」の警告についてどの程度伝えていたかを検証する必要もある。

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