日本エネルギー会議

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小説でたどるエネの旅 吉村佳美(フリーライター) 2017.8.10

 「木曽路はすべて山の中である」。
 初めて訪れた木曽の地は、島崎藤村の『夜明け前』の冒頭の通り、木々の緑に囲まれた地。そして山々をぬって流れる木曽川には23ヶ所もの発電所がある。このうちの7ヶ所は福沢諭吉の娘婿で明治から大正にかけての「電力王」と呼ばれた福沢桃介が建設したものだ。
 桃介とそのパートナー(妻ではないが)で日本の女優第一号である川上貞奴による、日本で初めてのダム式水力発電にかけた生涯を描いた小説『水燃えて火-山師と女優の電力革命』(中央公論新社)を読み、この6月、著者の神津カンナ先生らとともにその足跡を訪ねる旅をした。
 私たちが最初に降り立ったのは大正11年5月に完成した須原発電所だ。桃介が手がけた3番目の発電所で八角形の尖塔が愛らしく、発電所というよりメルヘンチックな城のようにも見える。それもそのはず、桃介が木曽川での水力発電に乗り出した際、景観に配慮してライン川岸に古城が見えるような光景にしたいと考えていたことを『水燃えて火』で知った。
 須原発電所は経済産業省の「近畿の経済や中部のモノづくりを支えた中部山岳地域の電源開発の歩みを物語る近代化産業遺産群」の1つに登録されており、桃介が携わった大井ダムや桃介橋、福沢桃介記念館などとともに、大井、大桑、読書の3つの発電所も同じくこれに認定されている。
 そのうち読書発電所は国の重要文化財にも指定されている。熱風と轟音を巻き起こしながら回るタービンは、美しいアールデコ調の建物の地下にあった。半円形の窓や屋上に突き出た明かり窓など凝ったデザインが目を引く。
 自然美と調和した建築美。須原にしてもネオ・ゴシック調の桃山発電所にしても、設計はもちろんプロの手によるが、こうした細かい意匠に貞奴の意見が反映されていたかもと思えるのは、彼女が住んでいた萬松園や二葉館に見る並々ならぬ美意識の強さを目にしたからだ。水力発電に燃える桃介を公私で支えた貞奴が、エネルギーのことを考えた日本で最初の女性ではないかとカンナ先生は話されていたが、私も全く同感である。
 ところで木曽に行ってみて、発電所より先に目に入ったのは、山の急な斜面に今にもズレ落ちそうに設置された多数の太陽光パネルである。次に見たのは比較的なだらかな丘陵地に並べられたおびただしい数のパネルが、ギラギラと反射光を放っている光景だ。
 木曽川水系の開発に当たって、桃介は地権者をはじめ森林関係者や漁業関係者らから激しい抵抗にあった。大きな物事が動く時、必ず問題になるのは環境破壊や既存の権利の保障だ。こうした問題をクリアしてようやくダムや発電所が作られ、電気を使う今の豊かな暮らしを支えている。
 パネルで太陽光を受けて発電する太陽光発電は、クリーンで環境に優しいエネルギーだと言われている。今のエネルギーシステムから徐々にシフトしていくのが流れなのだろうが、果たしてこのパネルの海が環境を破壊せず美しいといえるのか、このような山中に大量に設置され、地滑りなどが起きたときはどうなるのかなど、大いに疑問を感じずにはいられなかった。
 小説といえばもう10年ほど前だが、黒部ダムに至る輸送設備いわゆる「黒部ルート」を訪ねたこともある。これは吉村昭氏の『高熱隧道』を読んでから。工事用トロッコに乗り、高温の水蒸気で窓ガラスが曇るのを実際に体験して、ダム建設での170度もの地熱との闘いや爆破事故、雪崩で多くの犠牲者が出た場面などに思いを馳せた。
 木曽の大井ダムの建設でも大洪水で死者が出た。開発やその後の運用のノウハウなどは、こうした犠牲を払って得た大切な財産だ。『水燃えて火』によると、冒頭に記した島崎藤村の兄広助も、木曽川開発の反対運動に身を投じたとされている。現地を訪ねることは、推進・反対双方の当事者たちの思いをよりリアルに感じ、また、普段何気なく使っているエネルギーがいかに困難で大変な交渉や工事を経て作られているのかを再認識させてくれる。スイッチを押せば明かりがつくのは、多大な費用や労力を投じて工事を行い、システムを構築したからこそ受ける恩恵なのだと。
 原子力発電にしても安易に反対や中止などが叫ばれるが、歩みを止めた途端にそれまで培ったこうした貴重な財産がすべて無になってしまう。もちろん、手放しで賛成を唱えるわけではなく、改善しなければならない点はあろうが、その技術力をはじめとしたさまざまな蓄積をきちんと後世に伝えていく義務が、今の時代に生きる私たちにあるのではないかと改めて認識した。
読んでから行くか、行ってから読むか。
 エネルギーというと科学的で理系のイメージがあるが、そこには家族や友人をも巻き込みながら、考え、悩み苦しみながら成し遂げていく文学的ともいえる人間のドラマがあることを、こうした小説は教えてくれる。
 木曽から帰った2日後、現地で震度5弱の地震があった。あの太陽光パネルは無事だったのだろうか。

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