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月刊WiLL(ウィル)2017年11月号掲載 「人類には原発が必要だ!」 記事全文掲載

石川迪夫(元日本原子力技術協会最高顧問)  奈良林直(北海道大学大学院特任教授)

人類は電気を食べて生きている。原発再稼働しか選択肢はない!

「原発=悪」という雰囲気」
石川 今の原子力に対する日本の雰囲気は、良いと言ったら噓になります。「原子力=悪」という風潮がまだ強いようです。
 2013年6月に、高市早苗(たかいちさなえ)前総務相(当時・自民党政調会長)が「原発事故によって死者は出ていない」という事実を講演会で話したところ、与党の自民党福島県連の抗議によって、高市さんが発言を撤回させられたことがありました。どうしても「原子力=悪」にしないと気が済まない。
 震災ではなく、事故への怨念(おんねん)がまだ払拭(ふっしょく)されていない。悪くいうのではありませんが、事故後もう6年、このような感情がまだ福島に残っていることが、今の社会風潮の根底にあります。
奈良林 福島で被災して、当時仮設住宅にお住まいの方とチェルノブイリ原発のあるウクライナに2013年に行きました。チェルノブイリの原発事故は1986年に起こり、福島第一原発事故の25年前の出来事ですが、福島の方が「チェルノブイリの事故で被災した人たちが、その後どういう生活になったのか見てみたいので連れて行ってください」とおっしゃるので、約30人の方とともにウクライナを視察しました。
 チェルノブイリ原発事故の後、5年間も作業員の宿舎となっていたプリピャチ市というゴーストタウンがあります。その後、作業をする人がいなくなったらそこは廃墟になった。原発事故でそのまますぐゴーストタウンになってしまったんじゃなくて、事故後も作業員は寝泊まりしていたんです。
 チェルノブイリから電車で東に30分程の場所に、スラブチッチ市という街があります。事故から1年8カ月で2万4千人が住めるニュータウンを建設し、2年以内に被災者が仮設住宅から移り住んで幸せを取り戻しました。コンセプトは「子供が楽しく暮らせるワンダーランド」。今でも約2万4千人が暮らしています。
 福島の人がそこの展示館を見て、「涙が出るほど悔しい。なぜ日本政府はそういうことをやってくれないんでしょう」とおっしゃっていました。
 さらにキエフの病院にも行きました。内科と精神科の先生がいらして、内科の先生は、「被ばく線量が3百ミリシーベルト以下の方は一般の人と変わりません。福島の人はそれほどの線量は浴びていないはずなので安心してください」と言っていました。これはチェルノブイリ事故から27年かけて集めた2万3千人の治療データに基づくもので信頼できます。
 精神科の先生は、人体に与える影響としては放射線汚染(radiation contamination)より情報汚染(information contamination)が恐いと話していました。
 情報汚染が風評被害を生み、それによって人々が精神的な圧迫を受け、鬱(うつ)やアルコール依存症になる。日本でもそのような方が増えないように気を付けて下さいと言われました。
 ところが、マスコミが連日のように「福島は危険だ」と報道して風評被害が発生したため、住民の方が未来の希望を失ってしまい、震災関連死で2千人近く亡くなっています。風評被害で故郷に帰ることもできない。
 事故自体で亡くなった方はいませんが、病院で寝たきりの方を無理やり避難させたり、仮設住宅での生活を強いて被害者が増えているのです。
 福島の事故の影響を百倍大きくしたのはマスコミの報道だと思っています。
石川 福島の被災者にも色々な人がいる。一方で、ウクライナまで行き、実情を調べ、日本の今後を考える人たちがいる。他方で、今なおテレビが報じるお情け頂戴番組に共感して、「東京電力はダメ、原子力はダメ」と憎しみの感情に動かされる人がいることも事実。
 この相反する思考の狭間からどのように脱却していくか、脱却して、未来に向けての民意を整えるのが政治家の役目、それは決断にあると思う。これは、日韓に横たわる問題と同じで、問題は政治家に決断する勇気があるか、ないかです。

ウクライナの悲劇
奈良林 ウクライナではチェルノブイリ事故の後も、事故を起こした4号機の隣の三号機を含め、しばらく原発を稼働させていました。
 ところが5年後、「原子力モラトリアム」という原発稼働に猶予期間を設けることを国会で決議したのです。それで原発が止められてしまった。
 ウクライナの主要産業は製鉄と造船。中国がウクライナから中古の空母を買ってニュースになりましたが、ウクライナは当時から空母を作れる技術があったのです。
 ところが、原発を止めてしまったので、停電が頻発(ひんぱつ)するようになった。すると工場が操業できなくて製鉄ができない。製鉄ができないと船も作れない。結局、ウクライナの産業、経済が壊滅的な打撃を受けました。その産業で働いていた人が職を失い、何万人もの人が路頭に迷い、飢え死にするケースもあった。
 お金がないためにロシアから高い天然ガスが買えなかった。塗炭の苦しみの中、最終手段として原発を再稼働しました。その結果、電力も確保されて暖をとることができ、食事を摂ることもできるようになり、徐々に経済が復活していきました。
 チェルノブイリ事故で被曝した方々が設立した「ゼムリャキ」というNGO団体があります。ウクライナを訪れた際、その団体の方と話をすることができました。この方が別れ際に言われた、「人類には原発が必要だ。これだけは伝えておきます」という言葉がとても印象的でした。
石川 海外で福島事故の影響を一番受けたのは台湾でしょう。
 建設中の第4原子力発電所を除いて、台湾の原発は押し並べて、40年近く働いてきた古参発電所が多い。問題の発端は、福島事故を受けて沸き起こった反対運動に狼狽(ろうばい)した馬英九(ばえいきゅう)前総統が、福島事故発生時の菅直人政権が定めた「原発寿命40年」に同調したことです。
 それに追い打ちを掛けたのが、後任の蔡英文(さいえいぶん)総統の「2025年に原発ゼロ」との決定です。台湾は今後その方向に進むでしょう。台湾電力は国営なので職員は皆役人、総統が右と言えば右です。台湾電力では、今、廃炉に関心が集まっている。
 この台湾の社会状況を作るのに大きく寄与したのが、我が国の菅元首相。福島の被災者と称する反対派と一緒になって、度々台北(タイペイ)へ出かけて、反原子力キャンペーンを繰り広げた。
 気の毒なのは、これまで産業振興に貢献してきた台湾の原子力関係者たちで、政治に圧迫されて物が言えない状態に置かれている。日本と同じくエネルギー資源のない台湾は、これからが大変。苦労をすると思う。
 蔡総統は、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡を吹く風を利用した風力発電で賄(まかな)えると言っているが、これは絵に描いた餅でしょう。この間も台湾で大停電があって世帯の半分が被害を受けた。こんなことがしょっちゅう起こるんじゃないかな。
奈良林 台湾だけでなく韓国にも感染し始めました。韓国も資源がない国。それでも原発でなんとか産業を維持してきたのに、文在寅(ムンジェイン)大統領の一言で止めるという方向になり始めている。韓国電力の役員もそれに同意して、建設中の古里(コリ)5、6号機の停止に応じたというから。ただ韓国では、それに反発して、現場の労働者や、昔からの原子力関係者3万人がデモを起こしたそうです。

なぜ原子力が必要なのか
石川 なぜ電気が必要なのか。それは「単位」が教えてくれます。電気の単位はキロワット時。食糧の単位はカロリー。この二つは換算できます。換算できるのは、モノが同じだからです。円とドルが換算できるのはモノが同じ、お金だからです。
 これと同じで、カロリーとキロワット時が換算できるのは、電気と食糧が同一のモノだからです。電気は食糧と考えるべきです。従って、食糧安保があるように、エネルギー安保は必要です。ただ電気は、人間しか使えませんが。
 動物は餌があれば繁殖します。人間も、エネルギーという食糧を使って、数を増した。約2万年前の狩猟生活時代、地球人口は約8百万人と言われています。
 それが千年前の中世には2億から4億人に増えた。農業を覚えて、食糧を安定して手に入れたからです。さらに2百年前には、産業革命で石炭や原子力のエネルギーを使い始めて、今や人口は70億人。
 70億人に増えた地球人口を、原子力なしで未来永劫、食べさせていく手段があるでしょうか。その悲劇が実際に起こったのがウクライナ。あれだけの技術を持っている国で、餓死者が出てしまった。これは他人事ではありません。
 終戦直後の日本は、アメリカから油を搾ったトウモロコシの滓(かす)を買って、命をつないだ。粉にして水と混ぜ、かまぼこ板に張った電極でパンにして食べるのですが、電圧が下がるとパンにならない。そんな朝は、朝食抜きの通学だった。戦後の1、2年間、そんな食糧事情の下で育ったから、電気は命そのものだった。
 さらにそれから10年、復興が始まった昭和30年代は、「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の時代。女性の労働が軽減され、夜なべ仕事からも解放されて、テレビを囲んでの一家団欒
(だんらん)が訪れた。これも電気のお陰ですよ。
奈良林 私が子どもの頃は、「鉄腕アトム」が夢のロボットとして少年たちの憧れでした。
 さらに1973年に第一次石油ショックがあって、中東の石油依存からの脱却が日本の課題になった。電気料金は第一次石油ショックで約5割上がった。第二次石油ショック(1978年)でまた約5割上がったので、2度の石油ショックで電気料金が2倍になったのです。
 このままでは石油の値段がどこまで上がるかわからないということで、準国産エネルギーである原子力の比率を高めていく必要がありました。大阪万博会場に原発の電気が届き、大拍手となりました。原発が電気料金の抑制と高度経済成長に寄与してきたという事実を忘れてはいけません。
石川 日本で原子力を始めた頃の原子力の研究開発は、各国独自で行っていた。互いに秘密で、他国に技術や情報を教えることはなかった。昭和30年頃、イギリス、アメリカで原子力発電が始まり、売り込み競争が始まって海外の技術情報が入りだした。私は1966年に、安全性研究で米国のアイダホ国立実験所に留学を許された第1号生徒ですが、その当時は米国でも、系統だった原子力の安全理論はまだなかった。
 その状況を変化させたのが石油ショックです。その経済的、政治的な打撃をいかに抑えるかというテーマで、フランスのランブイエ城に主要国の首脳が集まりました。それが今日のG7サミットのはじまりです。
 原子力発電は石油ショックの対抗手段として、その中長期計画に組み入れられ、実現を図る手段として、安全性の研究協力がOECD(経済協力開発機構)のもとで始まった。その中で、米国に協力して懸命に取り組んだのが、日本とドイツです。
 新三国同盟などと、やっかみ半分でうらやまれたものでしたが、その成果が今のIAEA(国際原子力機関)国際基準、安全設計指針となっている。この指針によって、原子力発電そのものは、非常に安全になったといえます。

2度の過酷事故と安全性研究
奈良林 1979年に米スリーマイル島の事故が起き、アメリカの原子力発電は、以降20年ほどの間、沈滞した。その原因は、原子炉の補助給水ポンプの点検の際に締めた弁を開け忘れた単純ミスに起因しています。旧ソ連で起きたチェルノブイリ事故は、低出力時に制御棒を挿入して反応を止めようとしたら暴走を始める危険な領域があることを運転員が知らされていなかったことに起因します。これらは運転員が思いもよらないところから大事故に至ったもので、その後、リスク評価が発展するきっかけとなりました。
石川 米国の原子力は90年代に復活しました。その理由の1つは、地球温暖化への危機感でしたが、もう1つに、規制の変化があります。
 米国の原発の発電シエアは約20%ですが、皆70年頃建設されているから、2010年代には、原発の寿命40年を一斉に迎えます。20%の電気が一斉になくなるのは、米国といえども辛い。
 これを憂慮(ゆうりよ)したNRC(米国原子力規制委員会)は、90年代中頃に電力会社の社長を集め、原発寿命を40年から60年に延ばすことを提案した。ところが、喜ぶと思った提案に社長達が皆横を向いた。原発は儲かるが、NRCの規制がうるさくて、経営者の思うような運営ができない。面白くないから原発はやめようと思っている、という返事だった。
 驚いたNRCは、運転管理の規制方針を変えて、新しい原子炉監視プロセス(ROP)を導入した。この結果、米国の発電は、発電実績も安全実績も、飛躍的に向上した。
 先年米国に誕生した原子力ルネッサンスには、こんな背景があるのですよ。
奈良林 私は1978年に東京工業大学の修士課程を出て東芝に入社しました。東芝の原子力研究所で研究を始めましたが、翌年3月にスリーマイル島の事故が起きた。これで原子力が衰退するんじゃないかと思って会社の先輩に相談したら、「これからは原子力の時代だから安心して研究を続けましょう」と言われた。
 その翌年から安全性の研究がものすごい規模で始まりました。寝ても覚めても原子炉の安全性の実験を行っていました。
 実験結果を英文でまとめてアメリカの軽水炉情報会議で議論をしました。東芝や日立やGEの技術者らが集まって、研究成果を持ち寄ってNRCと議論をする。
 GEの人が日本に来て打ち合わせをするというようなことが始まって、行ったり来たりが始まった。そんなことを十年くらいやっていました。
 その間にチェルノブイリの事故が起こるんです。でもまだ原子力は必要ということで研究は続きました。チェルノブイリ事故の反省から、今度は過酷事故への対策がメインテーマになっていきました。
 日本の原子力発電が不幸な道を歩み始めたきっかけは、1974年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故だと思います。中性子を遮蔽(しゃへい)するのに一番いいのはデンプンですよね。マスコミはご飯粒で塞いでいたとセンセーショナルに報道した。そこから反対運動に火が付き、青森県の大湊港で入港を拒否されたのです。
 問題は、その解決を科学技術でしなかったこと。「中性子漏れをデンプンで防いだからもう放射線対策はできている」と言えばよかった。でもお金を払って政治的に抑え込んでしまったんです。その結果、反対運動をして騒ぐとお金がもらえるという錯覚を与えてしまい、火に油を注ぐ形となって、手が付けられなくなってしまいました。
石川 余談になりますが、「むつ」はそのあと太平洋を4度航海しています。敢えて嵐の中に突入して、安定性能も確認したと言います。港の出入りも容易で、「むつ」が素晴らしい船というのは、当時の乗組員全体の感想といいます。こんな事実が日本で報道されていないのは残念です。
奈良林 それ以降、原子力を巡る議論における2項対立が決定的になりました。本来、違う考えを持っていても、原発を安全にするという同じベクトルに向かうことができるはず
なのに、推進と反対が不毛な議論を繰り返すようになった。「むつ」以来、日本の国益を考えた建設的な議論ができなくなってしまったんです。

フィルターベントの重要性
奈良林 日本で安全性研究が停滞していた時期でも、ヨーロッパは過酷事故の研究を続けていました。
 私はスイスの原発に設置された「フィルターベント」(※注参照)を見に行きました。スイスは、スリーマイル島の事故以降、研究・開発を始めて、チェルノブイリ事故の直前にはフィルターベントが既に設置されていました。過酷事故が起きると放射性物質が格納容器のなかにでてきます。除熱ができないときに格納容器が損傷して放射性物質が外部に出てしまう。それを防ぐためにフィルターベントが用意されていて、停電しても大丈夫なように手動でも操作できるようになっていました。
 日本の原発の完成度が高い、信頼性も高いというところで止まってしまっていて、その後の過酷事故対策が中途半端になっていました。チェルノブイリの事故がありましたから、発電所自身が緊急停止する仕組みを持った開発は進んでいましたが、日本国内で放射性物質の外部放出を大幅に減らせるフィルターベントが建設されるというところまで進んでいなかった。
石川 福島の事故データによって、BWR(沸騰水型軽水炉)ベントの効率が大きく、実用に耐えることが証明されました。
 僕は90年代、IAEAの委員でした。恥ずかしい限りですが、過酷事故対策をどうするかについては、自信を持って提案する人が委員会の中にいなかったのですよ。
 その理由は、参考となる事故例が、スリーマイル島(軽水炉)とチェルノブイリ(黒鉛炉)の、各1件しかなかったからです。1例では、普遍的な事故とは言えず、参考にできないのです。
 いま福島事故を経験して考えれば、自然現象に対する安全配慮に問題があったことに気付くのですが、当時はそこまでの考えに至らなかった。
 福島事故によって過酷事故の事例が増えました。また溶融、爆発も起きていますから、過酷事故対策を考える上で貴重な参考事例です。今後の安全対策は大きく進むと思います。
 原子力関係者へのアドバイスとしては、福島事故を徹底的に究明することにつきます。
奈良林 台湾に金山(チンシャン)という原発があります。津波が来たら取水口のゲートが閉じて津波が発電所の中に入らないような対策を取っているのです。
 また非常電源用に、高台に12万キロワットの火力発電所を持っている。台湾は停電が多いので、それに備えて原発の中に火力発電所があるんです。
 そこまで対策がしてあるんですよ。だから津波が起こっても大丈夫。それをちゃんと説明すれば台湾で「脱原発」とはならないと思います。
 米国は同時多発テロ事件(2001年9月)を受けて、NRCが「全電源喪失対策の強化を含む指令(B5b)」を非公開で出し、米国内では対策の強化が実施されました。日本の旧原子力安全・保安院にも「B5b」の導入を進言していた。「B5b」が求めていたのは、例えば、送電線をテロリストが切断して、原子炉を冷却するために重要な海水ポンプをダイナマイトで破壊したというような事態を想定したものです。外部電源と冷却装置喪失の時に炉心が溶融(ようゆう)しないように対策をとりなさいということ。
 津波は自然のテロだから、アメリカの忠告を聞いていたら事故の被害は軽減できていたかもしれません。
石川 B5b問題は、日本の官僚独特の奢りがなせる仕業、と言えます。テロ対策は国家機密であるから民間に知らせるべきでない、と担当者は考えたのでしょう。
 その結果が、情報は秘匿されたままで電力業界に伝わらず、数カ月もあれば作れた非常電源設備の増設が出来なかった。これがあれば、福島事故が防げたことに疑いを入れません。現に5、6号機は非常電源が使えたので助かった。私は、B5bを秘匿したのは、官僚の犯罪と考えています。

中国の世界戦略
奈良林 この前、中国で開かれた原子力関係の国際会議に出席し、技術展示を見に行きました。大きなパネルに「AIIB(アジアインフラ投資銀行)を使って、一帯一路に原発を建設します」と書いてある。中国はこれから国内に200基の原発を建設します。海外にも200基建てる予定があるようです。今、世界に400基の原発がありますが、将来は800基になります。つまり、世界の原発の半分が中国製になるということです。
 中国の原発輸出戦略の第一号がイギリス。最初はイギリス国内からの反発がありましたが、中国の資金が投入されるなら背に腹は代えられないということで決まった。これからもパキスタン、アフリカ諸国と世界中で中国製の原発建設が計画されています。
 中国主導で創設されたAIIBに各国が協力し、その資金で原発を建設するので、その国はお金を出さなくていいわけです。発電が開始されれば、その電気代の売り上げから返済するので、その国にとってはありがたい。
 中国の技術は、フランスのアレバ社の技術。それを改良して、フランスのEPR(欧州加圧水型炉)に似たものを作っている。また、米国のウェスティングハウスが中国に原発の技術を提供してしまいました。つまり、フランスとアメリカの原子力技術は中国に全部取り込まれてしまっているのです。
石川 中国の政策には裏がありそうだけど。それは黙ってみているしかない。日本のメーカーには頑張ってもらうしかないけど、どのように支援していくかは政治の問題だ。
奈良林 我が国の太陽光の普及は目覚ましく、累積導入量はドイツを抜いて世界第2位となりました。しかし、夜間と曇の日は火力発電を使うので、二酸化炭素の排出がなかなか減りません。
石川 これら全ての解決策は、日本の原発を早く再稼働させることに尽きる。そのためには原子力規制委員会に努力してもらわないと。福島事故後6年経っても、まだ5基しか稼働していない。規制庁はもっとまじめに働いてほしいね。
 あとはマスコミと政治家。マスコミは反対意見ばかりを電波や紙誌面で流さずに、科学的な視点から原発の安全性を訴える必要があります。
 政治家も毅然(きぜん)とした決断をしないと。なんでもかんでも東京電力が悪いと言うのではなく、日本の置かれた実情を理解して、方針を示してもらいたいね。真摯(しんし)に説明すれば福島
の人もきっと理解してくれると思う。

※注 フィルターベント=原子力発電所で事故が発生した際に、原子炉格納容器内の圧力が高まって破損するのを防ぐため、放射性物質を含む蒸気から放射性物質をこし取って放出する装置。

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