日本エネルギー会議

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原子力利用は持続可能な技術開発か?:原子力に内在する反倫理性 内山洋司(筑波大学名誉教授)

科学的な視点から原子力の問題点を著した「科学・技術と社会倫理:その統合的思考を探る(編著:山脇直司、東京大学出版会、2015年」は、大変興味ある出版本である。著書の第一部には、多くの問題点が著者の一人である池内了氏によって論述されている。著者は、「科学の限界(ちくま新書、2012年」の中で、トランス・サイエンスの問題群として取り上げた「複雑系の科学に関わる問題」、「確率統計現象に関わる問題」、「共有地の悲劇(個々の私有利益と共同利益の背反)に関わる問題」、「科学の反倫理性が予想される問題」の四つの課題から原子力の問題点を言及している。前著書の第一部ではその論点に沿って、とりわけ「科学の反倫理性」において、原発には他の人々に強いる犠牲の反倫理性があると強調している。ここでは、原子力の問題点の指摘に対して、同意できる点と疑問に思った点を述べることにする。

1.「価値中立性」と「トランス・サイエンス」
科学は、20世紀初期までは「自然界の真理の探究」を目指してきた。科学にはいかなる価値とは関係なく、法則や原理を探っていく営みがあり、価値中立的な面がある。しかし、20世紀の後半からの科学研究は、法則や理論の探究に留まらず、それらを基盤にした「人工物の製作」と不可分の関わりを持つようになった。さまざまな科学に内包される限界がある。それらの限界を認識すれば、すべてを科学に頼るのは危険である。現在はトランス・サイエンスの時代と言われる。科学に関わっているが、科学のみによっては解決できない問題のことで、その解決のためには科学以外の論理を持ち込まねばならない。それは、科学を超えたトランス問題と呼ばれている。科学以外の論理としていかなる論理があり得るのか。
トランス・サイエンス問題を初めて取り上げたアルヴィン・ワインバーグは、これを「拡大されたピア(仲間)と呼び、科学・技術を社会で適切に活用するためには、一般市民を巻き込んだ社会的討議が重要であると強調した。科学の限界を補完する論理には何があるのか。(以上、「科学・技術と社会倫理」第一部からの抜粋)
(コメント)
トランス・サイエンス問題については多くの人が同感している。歴史を遡ると、科学・技術のあり方は数多くの変遷を遂げ、今日に至っている。18世紀にヨーロッパで生まれた産業革命による工業化の流れは20世紀に入ってアメリカで花開き、以降、科学・技術の進歩によって経済は発展し、これまでの人類史上では考えられない物質的な豊かさと便利な社会をもたらした。19世紀中期までは、産業革命の影響によって技術が先行した時期で、科学と技術は別々に発展していた。科学は、20世紀前半まで自然界の心理の探究を目指し「価値中立性」を保っていた。しかし、20世紀中期から、科学研究は法則や理論の探究に留まらず、社会のニーズに合う人工物の製作を目標とする技術と関わりを持つようになった(デュアルユース)。その後、科学の「技術化」は一層進み、科学と技術開発は表裏一体となった。それはテクノサイエンスとも呼ばれ、船舶、鉄道、航空機、建築物、原子力、電気製品、コンピュータ、ロボットなど高度科学技術が発展した。現代の科学・技術は、社会の多様なニーズに応えて発展を強いられる。その発展は、国家目標や政策決定、さらに企業の経営目標と一体化しており、科学・技術の研究予算もそれぞれの目標に叶う計画を優先し配分されている。「価値中立性」は、保たれていない。そこには、科学以外の論理が入っており、不確実性が存在していることを前提に政府の政策に合った科学・技術や、企業の利潤を高めるモノやサービスを社会に提供していくことが重要になる。科学以外の論理には自然科学とは違い普遍性が無く、様々な社会的リスクを伴っている。トランス・サイエンスには一般市民を巻き込んだ社会的討議が求められているが、実際の討議では倫理観だけでなく、関係者の利害がぶつかり合うことがしばしばある。

2.原発の「反倫理性」
原発に内蔵している反倫理性については、事故による被害の押し付けを含めて、以下に述べる(1)から(4)までの問題点が指摘されている。
(1) 都会の利便性のために原発を過疎地に押し付けている(産業が無い所に原発しか選択が無いという状況に住民を押し付けている。放射性廃棄物は六ケ所に押し付けている)。
(コメント)
確かに、そういった見方も考えられるが、この見方は加害者と被害者といった対立軸での論理となっている。実際には原子力発電所がある地元では発電所があることで雇用や生活の場が確保され、固定資産税等のメリットから、住民の多くが受け入れている。青森県の六ケ所においても地元住民の反応は同じで、必ずしも押し付けられていると判断していない。基本的には、化学工場など他の施設が誘致される場合と同じと考えられる。一方で、都会の人々も経済発展の原動力として、通勤ラッシュや高い家賃、それに汚染された大気の中で生活しており、必ずしも都会の利便性を享受しているわけではない。都会のほうが職を見つけやすく雇用の場として有利であるために、環境が悪くても都会に住まざるを得ない状況がある。都道府県別の住みやすいランキングでは、富山県や福井県が上位にあって都会のランクはそれほど高くはない。反倫理性を受益者と被害者といった二つの異なる立場に分けて犠牲のシステムとして議論しているが、実際には受益者と被害者を明確には区別できないことが多々ある。被害者といわれている地元住民も、原子力施設の立地により雇用や生活が支えられており、地域の経済的な補助も受けている。生産地と消費地の人々のリスクとベネフィットを明らかにし、現実的な立場から互いに納得いく信頼関係を築くことが大切ではないか。
(2) 発電所だけでなく核燃料サイクルにおいて放射性物質を扱っており、作業員への放射線被曝を押し付けている。
(コメント)
原子力施設には通常の労働災害に加えて被ばく事故というリスクがあり、原子力発電所と核燃料サイクル施設には指摘されている潜在的なリスクがある。リスクを低減するためには、原子力施設の安全性の確保に対して、施設の管理者は最重要課題として対策を講じなければならない。現在の原子力発電所および核燃料サイクル施設においては被曝事故防止に向けた安全対策は極めて厳格に実施されており、定常運転時や保守・補修時における作業員の被曝による健康への被害影響は極めて少なくなっている。指摘は、原子力が持つ放射線被曝という特有の影響をクローズアップして、作業員を被害者として強調している感がある。放射線は、がん治療、X線技師、あるいは航空会社のパイロット等にも影響を与えている問題である。放射線による被曝線量は、他の分野での化学物質や汚染物質と同様に、疫学的に許容量を評価することが難しいことであるが、許容量の値については国内外の専門家が公の場で判断した結果に従わざるを得ない。
産業社会では、原子力施設に限らず、他のあらゆる工場において従業員には何らかのリスクが発生している。原子力施設は、重大事故が発生しない限り、産業の災害リスクの中では最も小さい施設の1つとみなされている。
(3) 事故による被害の押し付けがある。福島第一事故により放射性物質の汚染による避難、放射線被曝、土地の放棄、故郷の喪失などの苦難を強いられている。重大事故の被害を考えると「持続可能な技術開発ではない」と看做される。
(コメント)
確かにその通りである。放射線被害は、原子力施設特有の影響で、一旦、放射性物質が原子炉や格納容器の外の外部環境に放出されると、従業員のみならず周辺住民等への被害は甚大になる。福島第一発電所の事故では、爆発によって放射性物質が広く拡散したために、その被害は人々への被曝による健康影響だけでなく、放射性物質による汚染が農地、林野、住宅や商業施設等へ拡大した。さらに、事故炉の汚染水対策やデブリの回収、廃止措置への目途もたっておらず、周辺住民だけでなく国民に不安を募らせている。福島第一事故の場合、爆発や放射線被曝によって直接、亡くなられた人はいなかったが、避難指示によって住まいを退去せざるを得なかった人の中には、ストレスによって健康被害を害して亡くなられた方もいた。また、長期の避難生活を余儀され職場や学校など生活の場が失われた人の数も多く、さらに風評被害によって売れなくなった農産物や魚介類による経済被害も甚大であった。その影響は、長期間にわたって及び、汚染された住宅や農地の除染には膨大な費用を要した。風評被害を含めた費用として6兆円程度のお金が投じられている。お金だけで解決できない問題もある。被害にあった方々の精神的な苦痛は大変大きく言葉では言い表せない。解決は難しいが、原子力関係団体のみならず政府や自治体、あるいは住民などによって様々な対策が講じられており、できるだけ早期に解決する努力が続けられている。一方で、住民や国民らの精神的な不安を取り除くためには、放射線リスクを過度に危険視する報道を改め、科学的に正しい情報を正確に伝える努力が求められる。確かに、重大事故による人の健康や経済に及ぼす被害は甚大であって、その点から見れば原子力発電所並びにその関連施設は極めて危険な施設である。かといって、原子力が持続可能な技術開発でないと断言し、日本からすべての原子力発電所を無くすことには疑問がある。エネルギー資源の無い日本にとって、原子力は安定かつ経済的に供給できる優れたエネルギー源である。化石燃料も優れたエネルギー源ではあるが、資源の無い日本は石油や天然ガスを地政学的に見て安定供給を脅かす地域である中東などから輸入せざるを得ない。化石燃料への依存は日本のエネルギー安全保障を脅かすことになる。その上、化石燃料は、大気汚染や地球温暖化といった環境問題を深刻化していく問題があり、持続可能なエネルギーといえない。化石燃料代替として再生可能エネルギーの開発が求められている。再生可能エネルギーの開発は大切なことではあるが、残念なことに日本における経済ポテンシャルは小さいことも自覚すべきである。無理に導入すれば、国民に大きな経済負担がかかる再生可能エネルギーの経済ポテンシャルが大きい地域は世界には多くあり、地球温暖化対策から再生可能エネルギーの導入が必要であるのならば、そういった地域において開発していくことが望ましい。ただ、バイオマスのように大量に導入されると森林が伐採され、自然や生態系が破壊してしまい持続可能な開発にならないことも理解する必要がある。再生可能エネルギーは、安定供給においても問題がある。地熱は実際に地下を掘ってみなければ発電に必要となる水蒸気が十分に得られるかどうかは分からない。バイオマスの成育は、気象条件、あるいは季節によって地域で大きく変動する。太陽の日射量は、雨や曇りの日は少なく夜間はゼロである。風は季節や時間帯で風速や風量が大きく変動し、台風の風は利用できない。気象条件に影響を受ける再エネの供給力の不安定さと変動は、蓄電池などエネルギー貯蔵技術を導入すれば、問題は解決するという意見もある。問題はそのシステムに必要となる膨大な費用をだれが負担するのかである。産業競争力の向上、生活に貧しい人々への救済のためにも電気料金はできるだけ安いことが望まれる。私たちが利用できるエネルギー源は、化石燃料、原子力、再生可能エネルギーに限られている。現代社会は、世界人口77億人を支えるために膨大なエネルギーを消費している状況にある。残念ではあるが、その膨大なエネルギー消費を供給できる持続可能なエネルギー源や技術はない。社会がエネルギーを利用して持続可能な発展を遂げていくためには、化石燃料、原子力、再生可能エネルギーのそれぞれが持つ利点を最大限に発揮させ、欠点をできるだけ克服する努力が必要となる。
原子力には、技術によって安全性を高め、それに向かって挑戦していく余地はあるのではないか。福島第一発電所事故の教訓から、既存の原子力施設の安全性はさらに向上しており、絶対とは言えないが事故を発生させない可能性は高くなっている。原子力技術者への信頼が失墜している現在、“信頼せよ”とは言えないが、原子力技術者は猛省し、国民に見える形で安全性向上に努め、彼らに信頼を取り戻すチャンスを与えてほしい。
(4) 放射性廃棄物の子孫への押し付けがある。放射性廃棄物は100年、200年間以上無害化できず、10万年先まで子孫への放射線影響のリスクがある。
(コメント)
この問題も、原子力が「持続可能な技術開発では無い」と言われる所以である。核分裂性生成物である放射性廃棄物は、確かに、時間が経てば放射能レベルが下がっていくとはいえゼロにはならず、10万年以上にわたって放射線を放出し続ける。現在、高レベル放射性廃棄物の処分については、現行技術で管理処分すれば千年程度であれば放射性物質を外部環境に漏洩することはないと予測している。もちろん、予測は絶対ではなく、高い確率で技術者が判断したことである。それ以上の期間になると、漏洩するかどうかは科学の限界を超えている。原子力専門家は、千年も経てば放射能レベルもかなり下がっており、放射性物質が地上に出る確率も低く、リスクは極めて小さいと判断している。一方で、批判派は地震や火山活動の影響を含め地下水の挙動変化等で放射性物質が地表に出現し、人々の健康や生態系に与える可能性は大きいと言及している。両者の主張にはそれぞれ可能性がある。しかし、千年も先のことを正確に予測することは不可能であることから、どちらが正しいとは言えない。使用済燃料は、放射能がある程度のレベルに減衰するまで、放射性物質を外部に漏洩させないよう安全に管理されなければならない。現時点で良い管理方法は見つけることは難しいが、二つの解決策を提案したい。最初の解決策として「使用済燃料の継承的保管制度」の創設を考えてはどうか。放射能は時間と共に減衰することから、長期間保管されるほど使用済燃料の再処理と再処理後の高レベル廃棄物(その時は中低レベル)処分は容易になり、費用も軽減する。放射能レベルがかなり低下するまでの千年間にわたり、地上あるいは地下浅部に使用済燃料を保管し続けて、容器も定期的に新しく更新していく。千年間の管理費用とその後の処分費用を現在価値化し、その費用は現世代が電気料金に加算し積立てていく。現在価値の換算係数は、その時代の経済活動等を考慮して公正に決めていくことになる。この継承的保管制度では、現世代が発生した使用済燃料に対して管理責任を持つことと、現世代で責任が持てない将来の管理と処分に関しては、それぞれの時点で考えた計画に従って費用を積み立てることで経済的な義務を負うことになる。使用済燃料中のウランやプルトニウムの再処理と放射性廃棄物の処分については、実際には、将来世代が千年の期間中に核燃料の市場を考えて柔軟に実施時期を決定することになる。別の解決策として廃棄物である放射性物質を利用する「使用済燃料のリサイクル利用」である。放射性物質は、放射能がある程度のレベルに減衰するまでは、外部に漏洩させないよう貯蔵施設で安全に管理されねばならない。貯蔵施設で発生する崩壊熱を植物の温室栽培や冬場の雪の溶解、あるいは放射線を殺菌などに利用しながら管理する方法を検討しても良いのではないか。また、再処理は使用済燃料のリサイクルにもなる。再処理によって発生するウランやプルトニウムは核燃料として再利用されるが、それ以外の白金族やレアメタルなども産業用材料に利用できる可能性がある。さらに残りの高レベル放射性物質は、中低レベル放射性核種になるまでの間、熱供給、乾燥、殺菌などの用途に利用できないだろうか。原子力の開発が“トイレなきマンション”と言われないためには、負の部分を産業に有効に利用していくことが大切になる。そして、身近な利用の中で放射線のリスクが正しく理解されることが望まれる。

3.「通時性の倫理」とグローバル化した資本主義社会
「通時性の倫理の回復」がある。封建制を打破した近代革命は、現在生きている人間の価値こそが最重要とする「共時性」を強調するようになった。過去のしがらみに囚われず、今の時点の人権を尊重することこそが人間の解放や幸福につながるとしたのである。その価値観は現代にまで及び、私たちはそれを当然としている。地下資源や生物資源をわずかな期間で使い尽くそうとしており、地球温暖化や放射性廃棄物の問題を子孫に押し付けている。これらすべては、現代の利益のみを優先する共時的発想の下で行われてきたことから発生した社会問題である。端的に言えば、短期の利益を優先するあまり、長期の損失を後回しにする行動様式である。未来世代には負の遺産を手渡そうとしている。これは社会の持続可能な発展にはならない。
(コメント)
「通時性の倫理の回復」は重要な考え方である。現代の利益のみを優先する共時的な考え方を続けていけば、未来世代の持続可能な発展は望めない。しかし、この問題を解決していくことは極めて難しいことでもある。
なぜならば、持続可能な発展は、過去のどの時代でも、また現代のどの社会においても成立したことはない。世界は、紛争が絶えることはなく、貧富の格差は広がり、食糧確保による生態系の多くが破壊され、水質や大気の環境状態も悪化しており、とても持続可能な発展とはいえない。貧困に喘いでいる世界の多くの人々に「短期の利益を考えずに、未来世代の持続可能な発展を考えて生活しろ!」というのは、豊かな生活を送っている人々の暴言ではないか。持続可能な発展から遥かに遠い生活を強いられている人々に「お前たちは先進国の豊かさを求めるな!」と誰が言えるのか。世界で発生している深刻な問題を現実的に解決していくことが、まず第一に重要なことではないか。エネルギー問題だけを見ても、生活の豊かさや快適さを求める勢いは旺盛で、世界のエネルギー需要は伸びていくことは確かである。各国のエネルギー展望や国際エネルギー機関によると、2030年の世界のエネルギー需要は現在の1.5倍にもなると見積もられている。この膨大な需要を供給できるエネルギーには化石燃料、原子力、再生可能エネルギーしかない。再生可能エネルギーの利用拡大は重要なのは分かるが、あまりにもコストが高く、経済的な負担を考えるとすぐには増やせず、化石燃料や原子力への依存が続くと予測されている。こういった社会にしているのは、世界的に拡がりつつある資本主義の流れがある。現代社会は多くの国々が市場経済である資本主義を取り入れて活動している。世界のグローバル化がその流れを加速している。資本主義は、拡大と成長、それに企業の利潤追求を基本とし、現在、生きている人々の利益を優先する共時性の価値観に基づいている。資本主義には、繁栄、成長、イノベーション、個人の所有財産、 自由社会、機会均等などプラス面がある一方で、不平等、搾取、環境汚染、資源枯渇、金融の不安定化などマイナス面もある。マイナス面は、基本的な制度設計(正当な統治機関、透明性、説明責任、力量、法の支配など)、社会・経済的な条件設定(平和と安定、多様性に対する許容度、市場システムに対する理解、共通の倫理観、法の遵守、医療と教育など)、さらに資源の適切な流れ(人材、資本、商品とサービス、情報、天然資源など)などのシステムによって解消していく努力がなされている。しかし、市場システムに破壊的な影響を及ぼす脅威もある。それらは、世界金融システムの崩壊、テロリズムや戦争、移民問題、環境破壊、法の支配の機能不全、保護主義、国家資本主義などである。ロシアや中国を中心とする共産主義の国々が資本主義経済を取り入れている。それは財・サービスの取引をすべて市場に委ねる市場資本主義ではなく、国家が企業を直接、コントロールする国家資本主義である。市場資本主義では企業の利潤最大化が目標となるが、国家資本主義は国力の最大化を目標としている。共産主義国による国家資本主義の台頭によって、市場経済が脅かされ、資本主義そのものが崩壊する恐れがある。また一方で、アメリカのトランプ大統領は、「米国第一主義(アメリカ・ファースト)」を掲げ、米国の伝統的な価値観である自由、平等、多様性に反するような排他主義的な発言を繰り返している。トランプ大統領は、支持者である国内産業を保護するために、中国などの輸入品への関税を強化している。それに対して中国は、米国からの輸入品への関税強化で対抗している。保護主義の世界的な拡大を招くのか、それともグローバル社会から米国が取り残されるのか、大きな課題となっている。

4.資本主義に代わる新思想とは?
資本主義に代わる新しい価値観が求められている。ケインズに師事したイギリスの経済学者、E.F.シューマッハは、1973年、「Small is Beautiful(人間復興の経済)」 を著した。彼は、国家も産業も都市も、何もかも巨大化する現代の経済社会を批判し、中間技術の必要性を主張している。「新しい思想体系」とは、国民所得、成長率、資本・産出量比率、労働の流動性、資本蓄積といった「大げさな抽象概念」を超越して、貧困、欲求不満、疎外、絶望、挫折、犯罪といった「人間的現実」にふれることから出発する。ブレア元英首相のブレーンの一人であったアンソニー・デギンズは、彼の著書である「第三の道」や「暴走する社会」の中でグローバリゼーションが社会へ及ぼす影響を、伝統、リスク、家族、民主主義について言及し、グローバル・コスモポリタン社会への適応が大切だと主張している。英国、インディペンデントのコラムニストであったダイアン・コイルは、彼女の著書「脱物質化社会 (The Weightless World)」の中で、工業国の生産量を百年前と比べると総額で20倍以上になっているが、生産額当り重量では20分の1にまで減少しており、世界の脱物質化の進展を明らかにしている。脱物質化社会の実現には、利潤最大化ではなく、人間集約的なコミュニテイの創出を目指したサービス自体の提供を目的とすることが大切になると提言している。具体的には、慈善活動、労働組合からシンクタンク、ロビー団体にいたるボランタリー団体、非政府組織、非営利企業、教会、学校、住宅協会、美術館、共済組合や協同組合など「第三の領域」による社会活動による発展が重要になるという。
国際機関も動き出している。1986年に開かれた国連の「環境と開発に関する世界委員会」にて、持続可能な発展に向けた行動指針が採択された。それは、“永続的で安定した生活物資の供給を通じて、世界の貧しい人々を絶対的貧困から救うこと”、“基本的な資源の減耗と環境の悪化を最小にすること”、“広義な視点から、経済成長のみでなく社会的・文化的な発展を含む”、“あらゆるレベルでの意思決定において経済学と生態学の統一を要求する”を基本とした内容のものである。持続可能な社会を構築する活動は、世界各国で広まりつつある。それは、国だけでなく企業の活動にも影響を与えている。企業は、利潤追求という基本目標を、さまざまな社会制約と環境・資源制約の中で達成していくことを余儀なくされている。企業の社会的責任への注目が高まっている。企業活動は、社会の健全かつ持続的な発展があってこそ成り立つという点から、企業は社会の一員として、より良い社会を築き支える責任を負っている。消費者の中に、商品の選別や企業の評価の際に、社会的責任への活動を判断基準とする人々の数は増加しており、その活動は企業にとって信頼性向上および競争力強化のために欠かすことのできない取り組みとなっている。
次回は、原子力の認知リスクとリスク・コミュニケーションについて解説したい。

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