日本エネルギー会議

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ドイツでは、今【第4回】『お財布を握っているのは誰?』川口マーン惠美

(原子力文化10月号からの転載)

 日本では、妻が家計を握っているケースが多いそうです。そういえば、私の実家のことを思い返しても、稼ぐのは父だったけれど、配分し、使うのは専業主婦だった母でした。それに比べて今の若い夫婦は、妻も稼ぎがある場合、生活費は二人で出し合い、それ以外は別々のお財布になっているようです。

 ドイツでは反対に、昔はお財布を握るのは男性でした。でも今は、共同の出費は収入に応じて出し合い、残りはそれぞれで管理するという方法が定着しています。ただ、子供に掛かった分はどうするかとか、家族旅行の費用はとか、家族でご飯を食べに行った時のお勘定はなどと、結構シビアに分けている家庭もあれば、イレギュラーな出費は、稼ぎの多い方がポンと出すどんぶり勘定の家庭もある。千差万別です。私事を言えば、私は計算が好きではないため、管理など任されてはそれこそ大変と、迷わず夫に一任でした。年に一回ぐらい、きちんと整理した収支表のようなものを見せられましたが、説明を聞いてもすぐに忘れたので、夫の月給がいくらで、うちにどのくらいの貯蓄があるかということさえ頭に入っていた験しがなかった。お金は銀行のATMで自由に下ろしていましたが、無駄使いをしなかったからか、問題はありませんでした。その後、仕方なく自分で稼いだ分だけは、最小限の管理はするようになりましたが、今でも、こういうことは得意な人がやった方がいいと思っています。

結婚前に財産目録をつくり離婚時の配分について取り決める
 最近、ドイツでは、結婚の際、離婚のときの財産分与についての契約を結んでおくカップルが増えてきました。今は結婚が遅くなっているので、すでに結婚時にかなりの高給取りであったり、不動産を持っていたりというケースがあります。ところが、お金を持っているのが片方だけの場合、あとあと離婚になったとき、どの財産が結婚以前からあった誰の財産で、どれが結婚してから増えた二人の財産かということが曖昧だと、喧嘩の元になって面倒くさい。そこで結婚前に財産目録をつくり、離婚時の分配について取り決めるのです。極めて理性的な考え方ですが、当然のことながら、この契約は結婚前に取り決めなければならない。つまり、ハートマークの飛び交う幸せな頭の片隅で、将来の離婚を想定し、末永く一緒に暮らしたいと願っている最愛の人に自分の財産を侵されることのないよう、冷静沈着に手を打つのです。正直言って、私たち日本人にとっては、かなり違和感のある行為でしょう。

 昔、私の友人が、八歳年下の、博士号を取ったばかりの、有能だけれど無一文の男と結婚した時、この契約を結びました。一五年後に離婚と相成りましたが、この契約がどの程度役に立ったのかは知りません。いずれにしても、ドイツ人は、お金に関しては妥協がなく、それがレストランのお勘定の時など如実に現れます。複数での食事後、支払いの段で店の人がテーブルに来て、必ず「一緒か、別々か」と聞きます。ドイツ語には、そういう言い回しがあるのです。割り勘でポンと割ると、安いものを食べた人や、お酒の代わりに水を飲んでいた人が損をするからでしょう。そこで「別々で」と言うと、「あなたは何を食べたか」と聞かれ、客が一人ずつ食べたり飲んだりしたものを自己申告し、言われた金額を支払うということを、全員が払い終わるまで繰り返していきます。チップも各自があげます。もちろん、真の平等を求める合理的なやり方でしょうが、学生ならまだしも、大の大人がしているのを見ると、なんだか惨めったらしくて、私は好きではありません。ドイツ人が他の国の人々に、ケチと陰口を叩かれる原因でもあります。

 ただ、よく見ると、ドイツ人はケチなわけではなく、お金を使う場所が違うだけとも言えます。日本人なら、自分の家やマンションの外観が少々古びてきても、たいして苦になりません。家具だって、別に不便がなければ、無理して取り換えたりしない。その前に、別のお金の使い道が思い浮かびます。イタリア人ならおそらく、その分、美味しいものを食べた方が良いと思うでしょう。

ドイツ人の金銭感覚は「自然」と聞いた途端タガが外れる
 ところが、ドイツ人は大金をかけて、まだ綺麗な外壁を塗り直したり、寝室を丸ごと一新したり、お料理もあまりしないのにシステムキッチンを豪華なものに取り換えたり、庭に高価な木を植えて悦に入ったりします。こういう点は、どちらかというと日本人の方がケチです。要するに、出費の優先順位が違うのです。ただ、不思議なことに、ドイツ人の金銭感覚は「自然」と聞いた途端、なぜか突然、タガが外れます。今、「エネルギー転換」や「気候温暖化防止」をめぐって起こっていることがまさにそれで、「金に糸目はつけない」といった非現実的な感じになってしまう。効果も採算も考えず、科学的思考さえ押しのけてしまいます。

 ドイツでは、再エネ施設が急増し、そこでつくられた再エネ電気を優先的に買うために、莫大なお金がかかっています。そして、その経費がすべて国民の電気代に乗せられているので、電気代が急騰しましたが、ドイツ人はじっと耐えています。なぜなら、それが自然のためだと信じているからです。しかし、再エネが必ずしも自然保護の役に立っていないことは、前回、前々回、このコラムで書きました。再エネ電気が不足した時には、それを火力が補いますから、CO2が減らない。

 一方、お天気がよくて電気が余ると、高く買い取った電気をタダ同然の値段で隣国に流して送電系統のパンクを防ぐので、今度は赤字が膨らむ。これらの矛盾は、少し考えればわかります。脱原発もそうです。福島第一原発の事故は、一〇〇〇年に一度という大津波で起こりました。しかし、ドイツ人は、地震も津波もない自国で、原発を全廃しようとしています。現在、昼夜、安定して発電している原発がなくなれば、火力がそれを代替することになるので、CO2はさらに増えます。つまり、現在のエネルギー政策では、CO2は増加するし、採算も合わない。再エネも上手に使いきれていない。なのに、ドイツ人はそれらの矛盾を無視するばかりか、CO2を減らすためには火力も止めるべきだと言い出しています。

 国連の温暖化防止政策もこれと同じで、かなりピントが外れている。CO2のために南国の島が沈みそうだと言っては「緑の気候基金」をつくり、二〇二〇年までに先進国から途上国へ毎年一〇〇〇億ドルの支援をしようとしています。資金の拠出国は、アメリカ(三〇億ドル)、日本(一五億ドル)を筆頭に、イギリス(一二億ドル)、フランスとドイツ(各一〇億ドル)。しかし、一部の島が沈下している理由は、必ずしもCO2増加のせいではありません。しかも、本当にCO2を減らしたいなら、CO2フリーの原発を、安全を確認しながら増やしていく方法も考えるべきです。しかし、それは誰も言い出さない。

再エネ発電賦課金も国民にしてみれば隠れた税金のようなもの
 国連の「緑の気候基金」の原資は、多かれ少なかれ税金です。また、電気代に乗っている再エネ発電賦課金も、国民にしてみれば、否応なく徴収されている、いわば隠れた税金のようなもの。ちなみに、現在、ドイツ政府が奨励している電気自動車も、膨大な補助金で後押しされていますが、これも税金。環境のためという名目で、ドイツ政府は一定の商品に対して補助金をつけ、国民の消費をある方向に誘導しているわけです。これは、自由経済の原則にも反します。しかも、その裏で、再エネのロビイストやら環境NGOが強力な影響力を及ぼしている。

 再エネ業界は、すでに巨大な市場です。だから、それなりの雇用を生むし、再エネの技術も進む。それ自体は良いのですが、そこで生み出される多くの利益が、国民の負担で捻出され、特定の業界を潤しているのは問題です。頭のいいドイツ人が、なぜこの状況を黙認しているのでしょう。それどころか、脱原発も、電気自動車への移行も、この矛盾を抱えたまま進展しそうです。そうなると、国民がさらに大きな負担を背負うし、電気の安定供給が脅かされます。
去る六月、EU経済閣僚理事会が、全エネルギー消費における再生可能エネルギーのシェア目標を、二〇三〇年で三五%と定めようとしたら、こともあろうに、ドイツの経済・エネルギー大臣が反対しました。「ドイツは現在、再エネのシェア一五%達成のために年間二五〇億ユーロを費やしている。それを二〇三〇年までに倍増すれば、国民の経済負担は計り知れない」
これが、まさに今、ドイツで起こっていることです。日本でお財布を握っているのが女性なら、その女性にこそ、現実に気づいてほしいと思います。

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