日本エネルギー会議

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オイルショックから40年、エネルギーと経済の関係を改めて考えよう

今年は、日本を震撼させた「第1次オイルショック」から40年となる。発端は、1973年10月6日に始まった第4次中東戦争。これを機にアラブ産油国は、原油価格の主導権を消費国である先進各国から自らの手におさめた。

石油輸出国機構(OPEC)は原油価格の大幅引き上げを通告、安い中東産原油に頼って経済成長を続けてきた日本は、予期せぬ事態に対応できず、パニックに陥った。国民の多くがトイレットペーパーや合成洗剤などの買いだめに走り、少しでも安いガソリンを求めてガソリンスタンドを探し回った。石油火力発電に依存していた電力業界は大幅な料金値上げを余儀なくされ、エネルギー調達の抜本的な見直しを求められた。

エネルギー資源小国である日本は、エネルギー政策の脆弱さを露呈、その重要性は日本経済を左右する重要課題に浮上したのである。さらに、1979年にはOPECがさらなる原油価格の引き上げを実施、「第2次オイルショック」に見舞われ、かつて1バレル=2ドル程度であった原油価格は40ドル台へと突入した。

◆忘れてならない原子力発電が果たした役割
こうした中で、わが国が選択した道筋は、原油の戦略備蓄確保、産業・国民生活レベルにおける省エネルギーの推進、さらには電源の多様化であった。その際に忘れてならないのは、中東依存度がなく、単価に対する燃料費比率が低い原子力発電所が担った役割だ。当時も再生可能エネルギーの可能性に大きな期待感を持って取り組んだが、そのあまりにも高いコストが前途に立ちふさがったのが現実である。

先進諸国におけるこうした対応を受けて、原油価格はその後、20ドル台で安定に向かった。しかし、2000年以降、中国やインドなど新興国経済の成長による国際的な需要増が主な要因となって、ジリジリと上昇。2008年7月には史上最高値となる1バレル=147ドルをつける場面もあった。

現在は100ドル台で推移しているが、中東情勢の動きで変動する微妙な価格情勢を続けているのが実情だ。「アラブの春」をめぐる中東諸国の激動、さらには核開発をめぐるイランと西側諸国との交渉は先行きが見えず、イランによるホルムズ海峡封鎖危機は依然として予断を許さない。最近のシリア情勢も決して無視できない。シリアの世界原油生産に占める比率は少ないが、シリアを起因に中東情勢が一段と流動化する危険性は残されたままだ。

◆エネルギーの安定なくして日本経済再生は難しい
日本経済における脱石油対策は着実に進んできたが、福島事故をきっかけに原発稼動が実質的に「ゼロ」となり、電力会社は老朽化し、燃料価格も高い石油火力を綱渡り状態で動かしつつ、電力の安定供給を維持しているのが現実だ。もちろん、原油よりも燃料価格の安い液化天然ガス(LNG)を出来うる限り燃やして発電電力量を増やしているが、それだけでは不足するため、老朽石油火力にも頼らざるを得ないのである。

原油ほどではないにしても、必要とされるLNGも中東依存度は高い。現在の日本の発電電力量に占める化石燃料の比率は9割近くに達し、原発停止に伴う化石燃料費用増は年間約3.8兆円となり、わが国の貿易収支は大幅な赤字を続けている。

また、ここ10年間で原油価格はほぼ5倍になっているが、オイルショック時のような物価高騰という経済現象は表面化していない。エコノミストの中には、「企業のほとんどは、従業員の年収を下げてコストを吸収してきた。雇用者の所得は下がり続け、国内消費の低迷につながる。日本でデフレが続く原因の一つとして、原油価格の上昇がある」との見方もある。ここに、原発停止に伴う電気料金の先行き不透明感が拍車をかけ、企業に設備投資を慎重にさせているとの指摘も軽視できない。

「アベノミクス」は久しぶりに日本経済に明るい兆しをもたらしているが、基本となるエネルギーと経済の密接な関係を探らずして、「日本経済再生」が実現するわけではない点に留意しておく必要があるだろう。

2013.9.24
日本エネルギー会議事務局

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